第一子である長男が、まだ幼稚園に入る前
毎日公園に連れて行くのが日課でした。
お外で元気よく遊んでもらいたい思いと、息子自身も遊びたい様子だったから。
そして、遊ばせるべきとも思っていたのかもしれません。
その頃の長男は、まわりの子よりも言葉を発するのが遅くて、意思の疎通ができないために
手が先に出してしまうという子でした。
とにかく元気で、人見知りせず、はじめましてのお友達にも自ら近寄っていくのですが、
泣かせてしまうことも度々で、その都度わたしは謝り、長男に言い聞かせるという日々を過ごしていました。
わたしの躾が悪いんだ...と自分を責めては、
おりこうさんなお友達と比べては落ち込んで
いつしか公園に行くのが億劫となった、
そんな母の思いはつゆ知らずに、息子は毎日楽しそうに遊んでいました。
決して悪い子ではない、言葉をまだ知らなくて、コミュニケーションの取り方を知らないだけだからと必死になって悪いことをした息子に話してきかせていた私。
幼稚園の入園を考え始めたころ、当時は未就園児教室や園庭解放などが どの園にもありましたので、見学がてら遊ばせてもらっていました。
色々な幼稚園を見る中で、幼稚園にもカラーがあることがわかり、
それを知るうちに、ここはいいな、ここはあんまりだな...と私なりの基準となるようなものが
出来ていったように思います。
自由をうたっているけども、
ただの野放しだな...とか
礼儀正しいけど、園児たちの表情に
違和感がある...とか
枠にはまらない子どもは
問題児扱いにするんだな...とか
出る杭は打つんじゃなくて、
個性として受け入れてくれる
そんなところがあったらいいなと、探しては
必死な形相の私に夫は、
「幼稚園なんてどこも同じなんだからそんな顔して悩むことじゃないだろ」と。
それは気遣いからの言葉でしたが、
いやいや全然違うんだよ。。。と、ますます落ち込んだのを覚えています。
とにかく当時の私はすごい顔をしていたらしい
そんな時、とうとう運命の出会いがありました。
まさに、暗い暗い道で途方にくれている私にサーっと一筋の光を差してくれた場所。
ひとりで抱え込んでいた肩の荷をそっと降ろしてくれ、
「それでいいんですよ」
とやさしく包んでくれたお人でした。
私を、そして息子を照らしてくれた
中臣浩子副園長先生
またにつづきます。