前回からの続きです。
私が理想とする ていねいな暮らしとは…
いったいどんな暮らしなのか?
ていねいに暮らそうとして、ハーブを育てたり、手縫いをしたり 日々の生活にプラスして 何かをやるのではなくて、
もっとシンプルに
『今の目の前のことに集中する』
それが、私の思う ていねいな暮らしだったのかもしれません。
毎日が雑だったから。
それが嫌だったんだと思います。
本当のところの自分のきもちを
見つめるよりも先に
雑誌を見つめてしまい、世間の言う ていねいな暮らしを自分の暮らしと比べて、
出来ないゆえに自己嫌悪に陥いる。
だから、辛かったのだと思います。
今でも、あの雑誌のような生活は憧れます。
でも、だからといって やろうと働きかけないのは 、ただの憧れということ。
いまはまだそれでいいと思っています。
いまの私にとっての ていねいの意味は
目の前のことに集中すること。
そんな毎日を送ること
それが ていねいな暮らし。
ゆっくり時間をかけてやるばかりではなくて、
ささっとスピードをあげてやることも、心がそこにあれば、集中していれば 、
それは ていねいになる。
そう考えたら、
私の子育て奮闘時代の
時間にただ流されていただけという記憶は、
日々精一杯だった=きちんと集中していた
に、塗り替えてもいいんじゃないか?
ていねいに暮らすの意味を勘違いしていたゆえの、無駄な自己嫌悪だったのかもしれない。
なんてね

まずは、
自分自身はどう思うのか?どう感じるのか?
そちらに敏感でいたいです。
よくいう自分軸とは、そういうことなんですね。