ちょびんbooks

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ちょびっと本を紹介したりするブログです。

 当初は私が読んだ本をご紹介するブログという感じで始めてみましたが、今では日々の出来事から個人的な趣味にいたるまで、私なりに解釈してご紹介する内容になっています。

毎週日曜日は更新をお休みさせていただいていますが、冬季は業務上繁忙期なため、更新できない場合もあります。ご容赦ください。

Amebaでブログを始めよう!

 ブログ更新をするのにかなり期間が開いてしまい

大変申し訳ありませんでした。

 

 今回は、2014年8月頃まで約14年間、私は前の職場で働いて

いましたがその中で私が悪なる行いをして裁かれた体験など、

いまだに印象に残っている出来事をお話しします。

 

 私がまだ経験が浅かったころ、会社で新規に始めた仕事があって

私が担当していたのですが、数年が経ちその得意先や同業他社の

行いに不満がありました。そこへ大手企業からオファーがあり、

そちらへ鞍替えしようと考えて、ある日突然その得意先の仕事を

止めてしまったのです。当然相手と揉めてしまい大きな損害を

被ってしましましたが、大手企業傘下に移ることができて結果的に

良かったと思い込んでいました。

 その大手企業関係の業務に就いた従業員の中で、よく車の

スピードを出し過ぎて走っている者がいました。私は注意するべき

立場であったのにもかかわらず注意を怠ったがために、ある日彼は

スピードの出し過ぎが原因で車両を制御出来なくなり自損事故を

起こしてしまいました。彼は一命はとりとめたものの、首から下が

痺れる後遺症を残してしまいました。当然私たちの信用も失われ、

多大な損害も被る始末です。

 

 とある納入先で敷地内の物が当てられて壊れており、当日出入り

した業者に対して心当たりがないか聞かれました。社内を調べた

ところ、その日に行った従業員は「当てた覚えはない」と言うの

ですが、その従業員の乗る車両のタイヤに擦った跡を発見した

のです。ところが私はその事実を隠してしまい、うやむやにして

しまったのです。数日後、その従業員は大きな自損事故を起こし、

結果多大な損害を被ってしまいました。

 

 従業員の中で私に対して物凄く腹を立てていた者がいまして、

何度か私に対して鬼のような形相で怒りをぶつけていました。

その人は過去に離婚していて住民税も滞納しているような人でし

たが、私が今の職場に移った数か月後、仕事中に病気で亡くなって

しまいました。社長がその人と離縁していた奥さんをやっとのことで

探したしたそうなんですが関わりたくないと言われ、その人の弟を

ようやく見つけて遺体を引き取ってもらったそうです。

 

 

 現在、Raptさんの有料記事や朝のお祈り会では大変厳しい御言葉

が宣布されています。悪事を働く者、御言葉を聞いていながら

聞き従わない者には厳しいさばきが下されます。でたらめな政治、

低迷する経済、蔓延する疫病など世の中の情勢を見れば、

その事実が明らかではないでしょうか。

私自身信仰が生ぬるく、すでに裁かれているでしょうし今後さらなる

厳しい裁きが私自身に下されてもおかしくありません。

 

 私の今の職場はどうかと言いますと、季節的な業務(冬場が忙し

い)を行っているので今年の記録的な暖冬により業績が過去最悪

となっています。得意先は私の職場以上に厳しい経営環境となっ

ています。私の職場が生き延びても得意先が万歳すれば、

私の職場も路頭に迷います。

しかし職場を失うことよりも、神様から見捨てられることの方が

どれだけ恐ろしく苦しいことでしょうか。

 

 早朝のお祈りをするときには、いかに自分が不真面目で罪深く

何ら神様のお役に立っていないことに猛省するしかなく、

神様との疎通も出来ていません。

 冒頭お話しした、前職での新規に仕事を始めてもめ事を起こして

しまった得意先はとっくの昔に倒産してしましました。

不真面目な従業員は人生を踏み外してしまいました。

行きつくところまで行かないようにするためにはどうすればいいのか。

 

 Raptさんのブログと有料記事、朝のお祈り会を知る前までは

人間の知恵で乗り切る方法を考えていたことでしょうが、それでは

乗り切ることはとても出来ません。裁きは神様が行います。

 私が過去に犯した出来事の結果は神様からの裁きと言っても

間違いありません。しかし、神様の裁きは私たちに悟りを与えて

くださいます。

 私は過去の過ちを通して、二度とこのようなことは起こすまいと考え、そうならないように自身の行動や判断を改めるようになりました。

神様はそのように何度か神様のもとに立ち返るチャンスを与えて

くださっています。しかしそのチャンスを蔑ろにするようであれば、

人生取り返しのつかないところまで行ってしまうことでしょう。

そういう人を私は前の職場で何人も目の当たりにしてきました。

 

多くの人々が、過去の行いの結果「裁かれた」という経験を持って

いると思います。しかし今不自由なく暮らしていけているのは、

神様が神様の下に立ち返るチャンスを与えてくださっているのです。

そしてそのチャンスを与えてくださっている期限が迫っているのが

事実です。今こそ神様に救われるためにも、心と思いと精神を

尽くして神様を愛さなければなりません。

 

 その方法はRaptさんのブログの有料記事に書かれてあり、

朝のお祈り会にて御言葉を聞くことができます。

私自身、後が無いことを実感しています。

どうか一人でも多くの人々がRaptさんのブログにたどり着き、

神様の下に立ち返り、救われますようにお祈りいたします。

 

http://rapt-neo.com/

http://rapt-neo.com/?p=52444

 私が今の職場に勤めていることが神様の御心に叶っていることなのかどうか、まだわかりません。

私の頭で考えるに、おそらく叶っていないのでしょうが、祈りが不十分なせいもありますが明確な答えを受けていないのが現状です。

 

 私の職場は夏と冬で極端に仕事量の差があり、冬場には期間社員や出稼ぎ労働者に来てもらって業務をこなしています。前回のブログで書きましたように一昨年繁忙期に入る直前に人数が足らなくなり、神様の助けを得て退職しようとした従業員を引き留めることが出来たと私は感じています。

 今年も先週までは1名不足していたのですが今年引退するつもりだった人が気が変わって来ていただけるようになり、おかげさまで最低限の人数が集まった次第です。

 

 神様はこんな私でも、職場の安定を図ってくださることで、祈りや聖書を読む時間を作ってくださっていると感じます。今度は私が神様の期待に応えて信仰の4本の柱をしっかりとたてなければなりません。

 

 RAPTさんの有料記事を読むことや朝会を聞くことで今まで常識だと思っていたことが違っていたことに気づかされました。人を充足されたことは、会社の収益を上げて富を得なさいということではなく、信仰の時間を与えたのだからしっかりと信仰の4本の柱を立てなさい、ということだと感じます。

 

聖書とRAPTさんの有料記事や朝会は私たちの人生を正しい方向へ導いてくれる良いテキストとなってくれます。ぜひお読みください。

https://rapt-neo.com/?page_id=1815

 最近のRAPTさんの朝会のお話を聞いて「恵み」や「悟り」について考え、どのように証を書けば上手に伝えられるのか悩み込んでいました。

 

 前回ブログで書いたように、私はRAPTさんの有料記事を読み始めるまで人生の幸福を得るには目には見えない力学(成功に至る法則)があって、それを体得すれば人生が好転すると思っていました。古くから伝わる故事成語やことわざ、人生の指針を教えてくれる本を読んで学べば、いつかその秘密が得られるだろうと考えていました。

しかし本日の朝会(2019年10月10日)を聞いて確信しました。

 

この世にある成功の法則だとか人生の指針、故事成語やことわざ、占いやスピリチュアル系の物を含めてすべて聖書の教えから遠ざけるものばかりです。すべて神様から遠ざけるものです。

人間の頭で考えた成功法則に何の力があるというのでしょうか。

人相や手相、誕生日に人間の運命を決める力が込められているとでもいうのでしょうか。

瞑想や呼吸法、暗示など私は過去に試してみましたが気休めなだけで決定的に変化が起きたわけではありません。そしてまた新たな真理を得ようと次の本、次の本と無駄に本を買い込んでしまっていました。

 

前回書いたように私は職場で窮地に陥ったことでRAPTさんの有料記事を読むようになり、このことは私にとって大変幸運でした。おかげで現在、聖書を非常にわかりやすく読むことができ、なおかつ聖書とRAPTさんの有料記事を学ぶことのみによってこそ人生の祝福を得られると確信できたのです。何をお祈りしたらいいのかを学び、実践し、お祈りの結果が世の中の状況を見れば確実に表れていることがわかります。信仰の4本の柱を立て、実践することで自分自身が成長します。しかしまだまだ足らない点ばかりで大変恥ずかしい限りです。

 

聖書を読むにあたりRAPTさんの有料記事は良き道しるべとなります。ぜひお読みいただけましたら幸いです。

https://rapt-neo.com/?page_id=1815

 ブログ記事をtwitterに掲載すると私の似顔絵が大きく表示されブキミだったので、写真にしました。

 

 おそらく高校生の時に論理学入門のような文庫本を読み始めてからだと思うのですが、その後いろいろな本を読んでいました。

世の中には「質量保存の法則」とか「作用反作用の法則」のように、人生で禍福が起きるのは人知を超えた「法則」というものがあるだろうと、その法則を自分のものにしたいと思って探していました。

 

例えば故事成語で「塞翁が馬」というのがあります。

 

コトバンクより

https://kotobank.jp/word/%E5%A1%9E%E7%BF%81%E3%81%8C%E9%A6%AC-507194

 

「人生の禍福転々として予測できないことのたとえ。「人間万事塞翁が馬」
[補説]昔、中国の北辺の塞(とりで)のそばに住んでいた老人の馬が胡(こ)の地に逃げたが、数か月後、駿馬(しゅんめ)を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かったという故事から。」

 

以上

 

故事成語とか論語とかことわざ、世に出回っている人生の指針の中に、成功の法則があるのだろうと思っていました。

しかし人生の幸福につながる法則を追い求めて様々な本を読んだのですが、結局よくわからず迷ったままでした。

 

然して聖書やRAPTさんの有料記事を読み始めてからも、しばらくは「聖書の神様とは、自然の法則ではないだろうか。」という先入観がありました。

 

ところがそれは大きな誤りでした。

 

この世のどんな故事成語も、人生の指針も、聖書の前には何ら役に立たないものでした。

聖書とRAPTさんの有料記事を読むことによって人間の罪穢れ、善悪を少しづつですが理解できるようになってきたと感じています。

職場で従業員の悪なる考えや罪がわかったときに、それをもとに厳しく叱ることができるようになり、結果彼は態度を改めるようになりました。少しは反省してくれたのではないかと思います。

しかしながら信仰の4本の柱をしっかりと立てねばと、私自身反省する次第です。

 

RAPTさんの有料記事は聖書を読み進めるための善きガイドとなってくれます。ぜひ聖書と共にRAPTさんの有料記事をお読みください。

https://rapt-neo.com/?page_id=1815

 ブログ更新が前回から1年以上経ってしまいました。

今年(2019年)の9月からRAPTさんの朝会にて「証をしなさい。」

というお話が出、私は大変苦しみました。なぜなら私は不従順であるからです。

早朝のお祈りも満足に出来ず、また人生が変わったこともありません。

どちらかというと裁かれている方です。

しかしこの数日の朝会の話を聞き、証をすることとは具体的にどういうことなのかヒントを掴んだような感覚になりましたので、書き進めていきたいと思います。

 

RAPTさんのブログは当初一般記事しか読んでいませんでしたが

あることをきっかけに有料記事を購読するようになりました。

 

一昨年の10月頃、私の職場の従業員が1名退職し、私は困っていました。繁忙期である冬場を乗り切る良い手立てはないものかと思い、RAPTさんの有料記事を購読し始めました。

そこへ、毎年冬場にだけ来ている有能な期間社員が、私の不用意な発言で怒りだして明日から来ないと言い出しました。これは非常に困り、神様にどうにかしてほしいと祈り求めたところ、どういうわけか感情が込み上げてきたのです。その感動を受けたままその日の夕方に期間社員を会社へ呼び、何のひねりも加えず「職場へ戻ってきてほしい。」と伝えたところ彼は快諾してくれました。

ほどなくして最初に退職した従業員も、転職先の業務が合わずに出戻ってきました。おかげで繁忙期の業務が滞ってしまう事態を避けることが出来たのです。

 

あのとき起きた出来事は、神様が私の職場を安定させて私に毎日お祈りできるようにと、心と思いと精神を尽くして神様を愛するようにと、計ってくださったのだと感じます。

 

早朝のお祈りをしていると、一昨年のころと比べて祈りを遮(さえぎ)るような不協和音が届いたり眠気が襲うようなことがなくなりました。むしろ毎回平安な雰囲気に包まれます。その日一日は肉体に疲れを感じつつもエネルギーに溢れているのがわかります。

 

神様を愛することについて、信仰の4本の柱を立てることなどについてはRAPTさんの有料記事や朝会にて具体的にお話しされています。ぜひご覧ください。

https://rapt-neo.com/?page_id=1815

 

ところが私は、神様がこのようにしっかりとお膳立てをしてくれているのにもかかわらず、毎日のお祈りが満足に出来ず、私は祝福を受けていない有様です。生ぬるい状態です。実際にこの一年、twitter上で情報拡散をされていた方々と比較してその実力に差を付けられてしまいました。神様のために心と思いと精神を尽くして行う人が、神様からおおいに祝福されます。あらためて神様から大いに祝福されるように、励みたいと思います。