wowakaさんが亡くなった。
私はいつから好きだったんだろうな。
中2くらいかな。裏表ラバーズとかで存在は知っていたけれど、いつから好きだったのかはよくわからない。
wowakaさんの曲は途中までしりとりになってたから、覚えやすかった。
グレーゾーンにて。テノヒラ。ラインアート。とおせんぼ。ぼくのサイノウ。裏表ラバーズ。ずれていく。
ずれていくを初めて聴いたとき、どんな曲だよと思った。「間違い探しに終われ」って、メロディー的にも歌詞的にもサラッと変すぎる。
積み木の人形からはしりとりじゃなかったか。ロンリーガール、ワールズエンドダンスホール、ぜんぶ好きだったな。
ボカロから離れちゃっても、新曲でたってきいてニコニコ開いてアンハッピーリフレイン聞きにいったっけ。
でもやっぱりロンリーガールすきやったなぁ、頑張りがいつか認められるって言われてるみたいでさ。
友達とカラオケいったら必ず誰かがwowakaさんの歌を歌う。それくらい耳について、魅力的で、wowakaさんにしか作れない曲っていっぱいあった。
アルバム買った。プリズムキューブを聞いて何回も泣いた。
ヒトリエに出会った。アンチテーゼジャンクガールはどうにもならないときに聞くとほんとにやけくそになれた。褒め言葉です。
去年、仕事がほんとに辛かった。事務職って言われて入社したのに、開発部署に移動になった。ほんとに辛かった。ポエミーだけど心が乾いている感じがした。こんな日がこの先もずっと一生続くのかって絶望してた。
なんでもいいからライブ行きたいって姉ちゃんと話して、あ、ヒトリエは? andropと対バンやけどって、そのレベルやった。今から思うととても失礼だね。
ライブが始まったときのワクワク感ずっと忘れないな。
後から聞いたけど、andropのセトリは、古参のファンからするとありえないセトリだったらしい。
私もすごくいい曲ばかりだと思った。みんなで楽しめるような曲が多くて。会場もとても盛り上がってた。一番会場を熱くしてバトンタッチするんだって言ってたけど、本当にその言葉どおりだった。
夏だけどねって何回も笑いながら言ってフユノをカバーしてたの、自分のことみたいに嬉しかった。
wowakaさんも、andropのフユノが一生に一回きけるとかほんとラッキーだって言ってた。
私はとてもラッキーでした。
初参加だったから、雰囲気も何も知らなかったけど、ヒトリエのイヴステッパー始まった瞬間みんな同時に跳ねた。
そうしようとしたんじゃなくて、みんなほんとに自然に踊ってた。
ライブハウスが一定に揺れてた。
普段なら恥ずかしくてできないのにできた、音に合わせて動きたかった、そんなライブだったんです。
アンノウンマザーグースでみんなで歌うところ、バカみたいだけど普通に泣いた。ライブの醍醐味ってこういうとこにあるんだよね。
フユノ被りで笑ったことも忘れないし、
極夜灯の儚さも、忘れられない。
カラノワレモノを演奏してたあの人たちは何を考えてたんだろう。
姉ちゃんが泣きそうだった気がしたって言ってた。
そう言われてみれば、そんな気もした。
すごくその晩楽しくて、人生史上何番めかに入るくらい楽しかった。
ほんとに辛かったんです。あの時。でもそれでもめちゃくちゃ笑顔で帰って、姉ちゃんとラーメン屋で死ぬほど語ってた。めっちゃ満足やったって二人で笑ってた。
本当にすきだった。
でもライブに行ったのが一回きりって。
やるせない。
大阪を好きなんだと言ってくれた。
またくるって。
もうあの夜は来ないんだと思うと苦しくて仕方ない。
もう新曲出ないんだと思うと、本当に寂しくてよくわからなくなる。
「こんなに苦しいならあのとき行かなければ」
とは絶対に思わないけど。
だってほんとに楽しかったんです。
生きている限り仕方ないけれど、これまで辛いことがたくさんありました。その都度どうにかして心を保って立ち直ってきた、それは音楽があったからです。
私はこれまで出会った音楽に支えられていると思う。その中にはwowakaさんが作った曲が何曲もあって、何回も何回も励まされてきた。
そして、私はこれまでにあった全ての出来事で形成されている。あの日のあのライブで私は間違いなく力をもらった。あの時私が頑張れたのは、あの時生きる活力をもらったから。
あの時みんなで歌って踊って心底楽しかったから。
今日みたいないい日があるんだなって思えたから、今も生きている。
もう出会えないし、もうあの歌は聞けないし、もうあんな日は二度と来ない。全てが遺作になる。そんなことはわかっているけれど、今生きている私自身を形作るもののなかに確かにあの曲がある。
本当に感謝してる。ずっとずっと感謝してる。
支えてくれてありがとう。
こんないい曲をくれてありがとう。
一生忘れられないくらい大好きな曲がたくさんある。
ありがとうを生前伝えきれなかったことが辛い。
声を聴くとやっぱり、もうこれから見ることができない景色と、聞けなかった未来の歌を思うと、こころがざわざわしてしまう。
それでもこれからも聞き続けたい。ずっと好きだと言い続けたい。それが哀悼だという気はない。ただ忘れたくない。
生きて聞き続けたいです。
悲しくて辛いとき、とりあえず死にたいとか消えたいって言葉を選びたくなる。
それが心にいちばん近い言葉であるように思うから。でもそれって違うと思う。
それが死んだ人に対しての冒涜だとか不謹慎だとか、そういうことではない。
近いけどやっぱり本心とは違うんだとおもう。
これからもがんばります。死んだらもうあんなにいい曲を聴くこともできない。
がんばります。がんばらないといけないんです。
私も未来に何かを残せる人になりたい。
生きる意味ってなんだろう。
転職活動中だからか、そう考えることが多い。でもそんなの私の場合、好きなひととか好きなものためしかない。
なら、好きなものを全力で好きでいるために、まずは自分の世界を整えて、それからのことはそれから考える。
大好きだと伝えるためには、自分自身の心を整えるところから。
だから私は、ちゃんと自分のためにまず頑張ります。納得いくまで、自分の課題に向き合います。
「あたしがあいをかたるのなら
そのすべてはこのうただ」
ときいたので、そのすべてを受け取れていると思っています。
「口をつぐんで 耳をふさいで思いの丈 並べたって
ごちゃごちゃの 感情はふわふわと 泣く」
「同じ様な哀しさで眼を開け切れずにいる」
「泣き腫らした目を開けて 見えるものが何色だとも」
「ひとり、茨の向こう側へ行け」
「今日も、明日も、呼吸をするよ」
「あたしがあいをかたるのなら そのすべてはこのうただ」
「浮かれた夢の色も 寂れた街の声も
いつだって思い出せるの」
「此処は、何処にも繋がる、そうだ」
素晴らしいものをたくさん受け取りました。
これまでありがとうございました。
ご冥福を心よりお祈りいたします。