当初、この日は雨の予報。しかし、近畿地方の梅雨入りがズレこみ、曇り時々雨、の予報になりましたが、結局、雨は降らず、夕方には晴れ渡りましたし、この道中、私の歩く所だけ日が差しているかのような錯覚に陥るかのような天候でした。これは、私とすれ違った山伏さんが仰ってくださったんです。「貴方のところだけ日が差しとる」って( ̄▽ ̄;)
何でもポジティブに(*^^)v
錯覚しながら歩きましょう( ´艸`)
私のパレハ!出迎不動明王さん!
「おっ、大阪のオッサンか。50ヶ月目かいな?そりゃおめでとさん!キイつけて行けよ!」と仰ったかどうか(^▽^;)
陀羅尼助茶屋。
昔はこの中で3店舗開いていたんですけどね。今や西浦さんの所のみ。草鞋履き替え所手前の松清さんの2店舗になりました。
店内では、金剛杖の焼印、陀羅尼助丸の販売、御朱印もあり、お茶のお接待もしてくださいます。休憩スペースもあります。
暑くもなく寒くもなく、ちょうどいい感じ。
路面が濡れていましたので、慎重に小鐘掛を登ります。
鐘掛岩
初めて登ったときは怖かった(;゚Д゚)
鐘掛と 問うて訪ねて来てみれば 九穴の蔵王下にこそ見れ
九穴の蔵王とは、出迎不動さんの辺りに祀られていたもので、鐘掛岩に登ると、九穴蔵王を下に見る、ということです。
お亀石
お亀石ふむなたたくなつえつくな、よけて通れよ旅の新客
等覚門を過ぎますと、鷹の巣岩が拝せます。
後に日本岩でお会いした男性が「鷹の巣岩に登ってきた!」と仰っていました。且つては行場でしたが、事故が多発したので閉鎖されたそうです。
昔、山上参りに来ていた男が行を侮り、神仏を誹る言葉を吐いたところ、大鷲がその男を攫って鷹の巣岩の頂上に置き去りにしていきました。絶壁を降りる事も出来ず、途方に暮れている所に行者が表れ、神仏を誹り御山を侮った事の罪を諭し、行者は呪術によって男をカエルの姿に変えて吉野の金峯山寺まで連れ帰り、男の増長の心を戒め、懴悔の心を説き戒律を授け、祈りによって人間の姿に戻してやります。
この伝承を再現したのが毎年7月7日に金峯山寺蔵王堂で行われる奇祭「蛙飛び行事」の謂れなのです。
西の覗の大岩盤がそびえます。
昔は鷹の巣岩の手前の大岩盤が西の覗でしたが、前述した通り、事故が多発し、こちらに変わったそうです。
西の覗
しっかりと感謝の勤行。この日も誰も修行をしていませんでした。
お不動さん、お地蔵さん。龍神さん、役行者尊が祀られています。
谷から雲が吹き上げてまいりまして、視界がなくなりました。
早う山上へ向かえ、ってことなのかしら?
吉野熊野国立公園の父 岸田日出男顕彰碑
紀伊半島や奥吉野の自然が、森林開発やダム建設による電源開発によって、急速に失われようとしていた時に、その豊かな自然を保護するため、吉野群山を「国立公園」にしたいと考えるようになり、吉野の山中を隅々までくまなく歩き、その実態を調べ、やがて、吉野熊野国立公園と指定を受けたました。
その功績から「吉野群山の主」「吉野熊野国立公園の父」とも呼ばれているそうです。
除幕式に登場する山伏姿の男性は、オニ雅こと、伝説の剛力である、岡田雅行氏(天川村栃尾出身)であります。あの釈迦ヶ岳の釈迦如来立像を一人で担ぎ上げた方ですよ!
参籠所分岐。まっすぐ進むと龍泉寺で、左に行きますと他の四つの参籠所になります。
龍泉寺参籠所前のテラス( ´∀` )
施設は一番ボロボロだけど、一番立地条件がいいのは龍泉寺さんなのであります。
いよいよまいりました!50ヶ月目の大峯山寺へ!
身口意三業を整え参入召されよ!
万感の想いを胸に。
続きます