通院日に
少し体調を崩した母‥
様子を見るため入院
検査中は大丈夫だったのに‥
ちょっと笑える話
採血の時に
係の方が手順通りに‥
認知症の母に確認
名前を聞かれた母は
‥トコトコ🚶と私の所に
歩いて来て、こう言った
『母ちゃんの名前を教えて』
‥と( ´ ▽ ` )アハッ
名前を忘れたのは‥👀初!
検査室の患者さん達
皆んな
笑ってました
(認知症あるあるです)
姉に報告すると
もう、大笑い( ´ ▽ ` )
何事もなく
一週間後に退院しました。
☘️☘️☘️
前回の‥続きです✨
浜比嘉島から17分程で
勝連城跡に着きました!
勝連城のはじまりは13世紀頃と考えられます‥
城主として最も有名なのは、最後の按司となる10代目の阿麻和利。彼は肝高(ちむたき。英雄のこと)として人々に讃えられた名君で、増築を繰り返すなどして、勝連城を現在の姿まで発展させました。
今なお、英雄として高く評価されている阿麻和利には、名君としての逸話が多くあります。城主としての阿麻和利が推し進めたのが貿易です‥略
護佐丸(ござまる)・百度踏揚(ももとふみあがり)
こうして勢力を伸ばした阿麻和利を恐れた琉球王国の国王、尚泰久(しょうたいきゅう)は、名将として知られていた護佐丸(ござまる)を中城城に派遣して、防波堤の役割をさせました。そして、自らの娘の百度踏揚(ももとふみあがり)を嫁がせます。
籠城戦(ろうじょうせん)とは
戦いにおける戦法のうち城をはじめとする自陣の拠点にたてこもり(籠城)守備を主体として戦う事
しかし、若き阿麻和利の野望は止まらず、護佐丸の中城城を滅ぼし、さらには首里攻略の準備を進めました。この動きを察知した百度踏揚は、命からがら勝連城を脱出。首里城に危急を知らせ、首里軍と勝連軍による籠城戦が繰り広げられることになりますが、勝連軍は遂に陥落してしまいます。この伝説には諸説ありますが、史料は残っていません。
西洋風の横顔に見えた
もうすぐです😅
頂上にいま〜す(*゚▽゚*)ノ✨
エネルギーが降り
注いでいました
✨
この写真気に入ってくれました♪
オーブが映ってるの‥⤴︎
‥そして
光の中に見える雲‥
描いてみようと思います🙏⤵︎
『天空の城』にいる‥
そんな気分になりました