私はいつも思っている事がありました。
それはずっと心の中に持ち続けていたのですが、何度か気が付いてはいながらも根本的な所には目をつぶっていました。いやそれは違うと…
その事を知る為に夫を選び、結婚して子供たちを男の子そして女の子の順で生んだんだなと思います。その順番も男の子女の子の順でなければならず、私に似ている女の子を生んだのも意味があったんだと思います。
私は最近、ある状況を目にすると心が沈みました。
子煩悩なお父さんと遊ぶ子供
仲がいいご夫婦
自分の友だちのお宅は微笑ましく思えるのに、本の中に登場するそんなお父さんや夫婦を目にすると悲しい気持ちになるのです。
自分がこんな状況だから、そんなこと思って当たり前だと思っていました。
子煩悩な父親を見ると心が沈むのは、単に私の罪悪感…
お父さんと会えなくて喜ぶ息子に対しては夫に申し訳ないような気持ち…
「このままでいい」と言う娘には「本心で言っているのかな?」という目で見てしまう事への複雑な思い。
仲がいいご夫婦の方は、自分にはどうしようもできない事であるという寂しさなのか…
ですが、よくよく考えていると私はどうやら甘えたいのに甘えらない。
でも、実は甘えたかったようです。
夫は私の甘えを許してくれる人ではありませんでした。
(いや、私が甘えられなかっただけかもしれません。もう、そんな事はどうでもいい。)
私はあえて甘えを許してくれない人を選んで苦しんで、その事を自分に気が付いて欲しかったのだと最近気が付きました
何回も気付いて欲しくて、その状況を作っていたのだと思います。
仲がいいご夫婦はお互いが甘える事を許可し合っておられる。
それを見ていると羨ましいんだ。人と比べる事も何もかも無意味だとわかっているのに、それでも羨ましいと思ってしまう私はきっと甘えたかったんだなと思いました。
上手にお互いが甘える事を許可する関係は、理想だと思います。
お互い甘えられるのは良い事だと以前、ブログのどこかで書いた気がします。
もしかしたら、その時に「私も甘えたいんだ。」と書いたのかもしれません。
しかし、今回のこの思いはちょっとだけ前とも違う気がします。
上手く表現できませんが、ちょっとだけ違う気がします。
先日、そんな事を近所の神社の境内で、メモに書きだして分析していた私です。
ああだ、こうだと何の脈絡もなく思う事を書き出していました。そしてそれは、家に帰ってビリビリに破いて捨てました。
この数か月に起こった事は、ただ先送りにしていた事に目を向けなさいとの事だった…。
それも、私から言い出す前に相手から言われただけの事だったんだ。
だから、後は私の不安の種を1つ1つ消していく事を繰り返して行こう。
そして、一人で寂しく過ごしている自分を想像してしまう私の心を打ち消そう。
甘えられない私は同時に自分は愛してもらえないと思い込んでいます。
この先はわからないけれど、夫と別々の道を歩く事になっても自分を責めたり自分が幸せになる事に罪悪感を持たないで生きて行こう。
もちろん、夫の幸せも祈ろう。夫は愛情を表に出せない人であり、潔癖な所があるのできっとだれかと生活する事が辛いのだろう。そんな夫を温かく見守ってくれる人がおられる事を祈ろう。(勝手にそれは自分じゃないと決めつける私
)
落ちこみをこうして繰り返しては、私は私に気が付いて欲しい事を訴えてきているように思います。今、私は人生の転換期なのだと思います。(今読んでいる本からそんな気がします。)
ですから、逆らわずに流れのままに進んで行こうと思います。
その1つが甘えを許す事だと本気でそう思っています。
甘えるぞ~甘えるぞ~おばはんが甘えると言うのも何ですが、これを読んでくださった方もどうか一緒に身近な人にに甘えましょう
そして、誰かが甘えて来たら甘えを受け入れて、お互い甘え合いましょう
そうしたら、世界平和につながるかな…ものすごく大きな私の願い
人生楽しんだもん勝ち(娘のボーイフレンドの○ちゃんのお母さんの名言)
人生甘えたもん勝ち(これからの私の名言にしよう)
今日のひとり言のような事を時々書いてます。ちょっと重いお話です
どんなに楽しい事考えても、心のどこかにこれから先の事が引っかかっています。
だからこそ、日々お片付けです