産んだ本人の話なので、どうしても生々しい表現が沢山出て来ますので、苦手な方はご注意下さいね。
※とっても長いです※
■2月1日早朝 陣痛…?
明け方、定期的な腹痛で目が覚める。
時刻は確か、午前4時頃。
一定の間隔でギリギリとお腹が締め付けられるような痛みが10秒~20秒くらい続く。
携帯の時計を見ながら時間をはかってみると、大体13分~7分というばらつきはあるものの、定期的に痛む。
これはもしやと思い、病院に連絡。
間隔がまだ広いので、外来受付が始まってから来院するようにという指示を頂く。
陣痛だろうと思っていたので、私と主人の両方の実家に連絡を入れた所、もうすぐにでも出発してこちらに向かうという事に。
両家のお母さんズがお昼ごろに関東入り決定となりました。
もうね、この日のうちに産む気マンマンでした、ええ。
それなのに、朝ごはんを食べて病院に行く頃には、定期的に来ていた痛みは消え、全く張らなくなってしまった。
一応病院には行って診察をしてもらったけれど、やはり陣痛ではなかった。
おそらく、前駆陣痛というやつだったのでしょう…
主人には午前半休まで取ってもらって付き添ってもらったというのに。
困った。もう母とお義母さんが来るのは確定。
私の母はこちらにそのまま1ヶ月滞在することにしているから問題ないのだけれど、お義母さんは2泊程度しか滞在できない。
その間に陣痛が来なければ、お義母さんは完全に無駄足になってしまう…
そのプレッシャーが、ますます陣痛を遠ざけてしまうような気がして、余計に焦りが出てきました。
お昼は少しでも歩いて陣痛を誘発しようと思い、吉祥寺まで一人歩く。
主人は一足先にバスで吉祥寺に行き、お義母さんと合流してもらっていたので、そこに少し遅れて私も合流しました。
サイゼでお昼を食べてのんびりしていると、私の母も吉祥寺に到着。
サイゼに連れて来てお昼を食べてもらいました。
そのままみんなで自宅へ戻り、主人は一旦会社へ。
母とお義母さんはうちに泊まってもらう事になっていたので、みんなで家で夕飯を食べ、夜はそのまま就寝、
横になって安静にすると、またお腹が定期的に痛む。
でももう騙されないぞ。これは前駆陣痛だ。そう自分に言い聞かせて、痛みで眠れない夜を過ごしました。
■2月2日 陣痛ジンクス
この日も陣痛を誘発するために、少しでも歩く。
母とお義母さんと3人で、少し離れたスーパーまで買い物に行きました。
お昼ごはんは、食べると陣痛が来るというジンクスがあるらしい「うなぎ」を食べに、近所のうどん屋さんへ。
普段なら怖気づいて頼めない金額のうな重を注文して、祈りながら食べました。

久しぶりにうなぎ食べた…旨かった…
陣痛ジンクス飲料だというオロナミンCを主人に買ってきてもらって、夕飯の後に飲んでみた。
ここまで来ると、神頼みです(笑)
ジンクスとか普段から全く信じない私ですら、祈る気持ちでこんなことまでしてるのが面白いというか。
そのまま何事も無く、またみんなで夕飯を食べ、お風呂に入り、就寝。
そしてこの夜もまた、横になって寝ようとすると、定期的なお腹の張りと痛みがやってくる。
今夜も騙されないぞー。これは前駆陣痛なんだ…!
…割と短い間隔で、それなりに強い痛みがずっと続く。
お陰で一睡も出来ない。
おかしい。いつもなら痛くても眠れるくらいの痛みの強さなのに。
携帯の時計を見ながら時間を計る。
大体5分間隔。額に少し脂汗が浮かぶくらいの痛み。
時刻は午前2時過ぎ。
1時間くらい痛みの間隔を計っていたけれど、今回はバラつきは無く、綺麗に5分間隔で痛みがやってくる。
…今度こそ…?
■2月3日 入院
前回の教訓を活かして、ひとまず母とお義母さんにはまだ寝ていてもらって、主人だけ起こして病院に連絡を入れる。
5分間隔ならばもう入院は間違いないだろうという事で、今回は外来受付開始を待たずにすぐに病院へ行くことに。
時刻は午前4時半。
あらかじめ準備していた入院セットを持って、主人と二人でタクシーに乗って病院へ。
余談だけれど、この時前もって押さえておいた近所のタクシー会社が2社とも「すぐには行けない」とお断りされました…(笑)
こんな時まで私ったらタイミング悪いんだもの。
病院に到着して、すぐに入院する部屋へ通され、診察券・母子手帳・先天性代謝異常検査の紙を病院に預ける。
あぁ、これは今日こそ産めるんだな、節分生まれになるのか、恵方巻きは産んだあとに食べられたらいいな。
まだこの時はそんな事を考える余裕があって、気持ちもどちらかというと落ち着いておりました。
それでもやっぱり怖かったんですけどね。痛いんだろうなー、ちゃんと産めるかな、っていう不安は最後までありましたし。
■微弱陣痛との戦い
入院する病室が陣痛室も兼ねているので、そのまま着替えてモニターを装着。
普段NSTで使っているあの監視装置。
確かに定期的に陣痛らしきものは来ているけれど、まだ弱いし、間隔も何故かまたまばらになっていく。
自宅で安静にしている時はあんなに痛かったお腹も、なんだかすっかり落ち着いてしまいました。
痛みに慣れただけのような気もするけれど、単純に痛みが遠のいている気もします。
お腹の赤ちゃんはとても元気。心拍も安定していて、よく動いてます。
助産師さんに内診してもらっても、子宮口は8cmくらい開いては来ているけれど、赤ちゃんはまだまだ降りてきていないとの事。
もう少し頑張ってね、今日中には産もうね、と励ましてもらいながら、病室で主人と二人、10分~5分間隔でまばらにくる陣痛のような痛みと戦っておりました。
外来受付開始後、母とお義母さんも病室へ来てくれて、3人が見守る中でのお産待ち。
流石に…その…3人に見つめられながらの陣痛待ちは…プレッシャーで…。
主人に甘えたいというか、手を握って痛みを逃したりしたいのだけれど、やはり母とお義母さんの前だとどうしても遠慮してしまってそれも出来ず。
主人も若干恥ずかしい感じなのか、ベッドから離れたソファに3人座ってじっとこっちを見てるわけですよ(笑)
もう気になって気になって(笑)
心配してくれて、側にいて見守っていたいという気持ちはもの凄く分かるけれど、やはりじっと見つめられてる中、どちらかと言えばあまり人には見せたくない部類の状態なので、ついには陣痛が30分来なかったりとかそういう状況になりはじめてしまいました。
どうしても、急かされているような感じになってしまうし、実際今日明日中に生まれないとお義母さんが一旦山形に帰らなければならないし、もし帰った直後に
生まれたりしたら流石に申し訳ないし、けれどもこればかりは誰のせいでもなく単純にタイミングの問題だから本当にどうしようもないし…
そんな事が頭の中をぐるぐると回ってしまってどうにもダメだったので、本当に申し訳ないなと思いつつ、母とお義母さんには一旦自宅の方へ戻っていただく事にしました。
いよいよ分娩室へ、という段階になったら来てもらうという事で…。
■最後の一歩が進まない
主治医の先生も、外来診察の合間を縫って病室へ診察に来て下さるけれど、結局2月3日中には子宮口が8~9センチというあと一歩の所から先に進まず。
赤ちゃんは相変わらず元気なのと、私も案外体力的に余裕があるという事で、まだ陣痛促進剤の投与はせずに自然にお産が進むのを待つという方針で行く事になりました。
病院で出された食事は三食全部綺麗に平らげました。
風邪をひいても、熱が39度近くあっても、食欲だけは衰えないのが私の強み!(笑)
いつ、本格的なお産になっても大丈夫なように、食事だけはしっかりとしておきました。
恵方巻きも、母とお義母さんが買ってきてくれたので、お夜食として食べさせていただきました。
流石に恵方を向いて食べる余裕はありませんでした(笑)
日付が変わって2月4日、節分生まれにはならなかったけれど、2月4日なら最初に狙ってた日付(平成24年2月4日で2424)になるし、流石に二日以上はかからないだろう…
体力自体はまだなんとかなりそうではあるけれど、まともに眠れない状態でここまで来てるから流石に疲れてきていました。
それ以上に、ずっとダラダラと痛い状態が続いて、産みたいのに産めない、まだまだこれからという状態が続く事に対する精神的疲弊の方が圧倒的に辛い。
もう焦らしプレイは勘弁だー!早く産ませてくれー!顔を見せてくれー!
■2月4日 促進剤投与
このあたりから、もう記憶が曖昧になってきます。
陣痛(?)の合間に寝落ちするようになってしまっていたから。
あまりの眠さに、痛みの波が来た時以外は高確率で即根落ちしていて、少しでも体力を温存・回復しようとしている感じでした。
朝、先生が診察に来て、子宮口が9センチ程度からまだ最後の一歩が開いてないのと、赤ちゃんもまだ降りてきていないのと、このまま待っていても陣痛が強まる気配が無いのとで、促進剤の投与を決定。
多分、朝の9時~10時くらいの出来事だったんじゃないかな。朝食の少し後だから、9時くらいだったかな。
母だけが様子を見に来ていて、お義母さんは自宅でテレビ(確かカーネーション)を見ていたんだったと思います。
促進剤の投与が始まれば、本格的な陣痛が来てすぐに分娩になる可能性もあるという事で、すぐにお義母さんにも来てもらう事にしました。
分娩室に移動して、促進剤投与開始。
促進剤の投与…やっとこれで産めるのかなという期待と、何も事故が起きなければいいなという不安と、促進剤を使わずに自然に陣痛を待ちたかったなぁという残念な気持ちと、今日中には絶対産めるし顔を見れるはずだという嬉しさと。
色々な感情が入り混じったまま、精密輸液ポンプを経由して落ちてくる薬液を見つめて、陣痛を待ちました。
最初は10ml/時だか1ml/時だか分からないけれど、少ない量で投与開始。
今までの陣痛が微弱なら、これからはもっともっと強い痛みがどんどん来るんだよな…と、途端に怖気づいてしまったりもしました。
「いきみたくなる」という感じもまだよく分からなくて、ダラダラと痛むのは下腹部と、骨盤周りと、会陰付近。
と、投与開始から程なくして助産師さんが申し訳なさそうに言う。
「ちょっとごめんなさい、おかぷぅさん…。もう先に生まれそうな経産婦さんが来ちゃったから、一旦お部屋に戻って頂きます」
なんという生殺しー!!!!!
というわけで、また分娩台から降り、歩いて病室まで戻り、ベッドで陣痛待ちでございます。
病室の母とお義母さんが「えっ」という感じでキョトンとしていたのが印象的でした(笑)
しばらくして、輸液量を一段階アップ。
このあたりから、痛みの質が少しずつ変わってきた気がします。
今までみたいに、30秒程度で消える痛みではなく、1分以上続くようになってきたし、何より痛みもだんだん増してきました。
鼻から吸って…口から細く吐いて…鼻から吸って…口から細く吐いて…
まだまだ「いきみのがし」という所までは行かないけれど、気を抜くと声をあげてしまいそうな痛みにはなってきました。
実際、呼気にあえぐような声が無意識に入り混じります。
ふーう゛ーーーーー!みたいな感じで。
目をつぶると痛みに意識がいってしまって余計に痛いから、目を開いて何かをじっと見て気を逸らした方がいいよと助産師さんにもアドバイスを貰っていたので、痛みが来た時はひたすら病室の壁紙のお馬さんを凝視していました。
■いきみたい!
確かもうこのあたりは、痛みの間隔も随分短くなっていたし、診察ではほぼ子宮口全開状態。
ただ、まだ赤ちゃんは降りてきていないし、破水もしていない。
イメージだと、子宮口が全開になったら有無を言わさず分娩室に入って、先生が手で破水させて一気にお産!って事になるんじゃないかと思っていたのだけれど、赤ちゃんが降りてくるのをギリギリまで待つ方針だったようです。
でもそろそろ…「いきみたい」という感じがはっきりと分かるくらいには、陣痛もいよいよ本格的になってきていました。
もうこの頃になると、病室にいる母とお義母さんの存在に気を遣う余裕も全く無くて、凄い声を出しながらいきみ逃しをしている姿を見せてしまっている事もあまり気にならなくなってきていました(笑)
むしろ、妙に冷静な自分と、お産に必死な自分と、二人に分裂したような妙な感覚になっていて、冷静な自分は客観的にその状況を見下ろしている状態が少し不思議で楽しかったです。
多重人格者の気持ちが、理解できそうな気がした。本当に気がしただけw
ホットぷぅ「んほおおぉぉぉおお陣痛いてえぇぇええまだ分娩室行けないのおぉおおおまだかよぉおおおおおいたいいたいいたいいたいいたい無理無理無理無理くぁwせdrftgyふじこ」
クールぷぅ「母とお義母さんったら普通に目の前でテレビ見てるしw いやまぁ確かにずっと苦しんでる私を見つめていてもどうしようもないのは分かるし、か
といって病室の外で待つのもやきもきしてアレだろうから仕方ないんだろうけれど、この状況テラシュールw てか主人も一緒にテレビ見てるしw こっち来て
手でも握って欲しいんですけおw」
みたいな、そんな状態でした…。
※主人の名誉の為に申し上げますと、ずっとテレビを見ていたわけではなくて、まだちょっとだけ余裕があった時にそういうシーンもあったというだけです(笑)
促進剤の輸液量は、もう一段階上げられたのを覚えています。
だんだん強まる痛み、狭まる間隔、延びる痛みの持続時間。襲い来るいきみたい感覚。
なりふりかまってられない。
本当にいきみたくて仕方ない。
痛みよりなにより、このいきみたいのを我慢しなければならないのが本当に辛い。
出産経験のあるお友達のお話とかを聞いてもまったく想像できなかったこの辛さ、本当に痛感しました。
陣痛の間隔を計る余裕はもう無くなっていて、おまけに眠気もピークで意識が途切れ途切れ。
「ふう゛ーーーん゛ーーーーーあ゛ーーーーーー!!!!」
↓
即寝落ち
の繰り返し。いやもうホントに。
痛みで失神でもしてるのかと思うレベルでの寝落ち。
そして痛みといきみたいのに起こされてん゛ーあ゛ー!して寝る。
汚い例えで申し訳ないけど、10ヶ月溜めに溜めたう●こが今まさに凄い腹痛と共に出ようとしてるのに出しちゃダメな感じで。
本当は例えようがないのだけれど、あえて例えるならそんな感じでした。
この時考えていたのは、「経産婦さんはまだ産み終わらないの!?まだなの!?いつになったら私の番なのーーーー!!」
という事だけ。
とにかく早く分娩室に行きたい、早く産みたい、それしか考えられない状態でした。
■掃除のおばちゃん
私はベッドの上で絶叫したり寝落ちしたり、主人はそんな私の手を握ってオロオロ、ソファには母とお義母さんが座ってハラハラしながら見守っている。
促進剤の点滴と、分娩監視装置のケーブルとで結構ゴチャゴチャしてるベッド周り。
そんな状態の病室に、掃除のおばちゃんが颯爽と登場!
しかも結構なご老齢で、足元が若干おぼつかない!
ベッド脇のゴミ箱からごみを回収しようとするけれど、点滴に引っかかりそうで危なっかしくて主人がお手伝いしてました。
分娩監視装置の電源が通る狭い場所を抜けて、一段高くなってるユニットバスの方へ向かおうとするおばちゃん!
実に危なっかしい!っていうかちょっと空気読んで!!!まじめにお仕事しててとても素晴らしいのだけれど、今はちょっと怖いから!
助産師さんも「ここのケーブル、足元気をつけてくださいね」ってさっき病室のみんなに言ってたくらいだから!
ゴミを回収して再び病室内の床掃除をしようと、クイックルワイパーを持って再び入室してきた所で、丁度来た助産師さんに「この部屋は今はやらないでください」ってちょっと叱られてました。
ごめんねおばちゃん。貴方は真面目でいいおばちゃんだと思うんだ、ただちょっとKYだっただけだよね。
と、冷静な方の私が(ry
冷静じゃない本体の方の私は、主人の手を握りつぶす勢いでいきみ逃ししつつ絶叫しては壁のお馬さんを凝視し、直後に寝落ちの繰り返しでした。
■今度こそ分娩室へ!
カオスな病室にお昼ごはんが運ばれてきた。つまり12時。
最初に分娩室に行ってから、3時間近くが経過してたのか…。
主人が「今はちょっと流石に食べられないと思います…」っていうと、「じゃあ旦那さんが食べて」って言われたとか。
流石に主人も食事どころじゃない状態だったので、とりあえずそのままテーブルに置いておきました。
その直後くらいかな、例の経産婦さんのお産が終わって分娩室の準備が整ったという事で、いよいよ私の番。
もうこの時は、いきみの波が去ってもお腹の痛みが全然引かなくて、割とパニックになってて初めて「い゛ーだーーい゛ーーーー」って叫んでた記憶があります。
ずっとお腹が痛いもんだから、もしかして促進剤が入りすぎて子宮が破裂でもしてんじゃないかって思っちゃって凄い怖くなってたのは覚えてます。
実際は多分お腹に力が入りすぎて痛かったのか、腰付近の痛みが残ってたのかって感じなんだろうけれど、あの時はホントに痛かったし苦しかったし、終わりが見えなくて「いっそ殺せ!」と何度叫びそうになった事か。
今すぐお腹を切って取り出して欲しいって本当に思ってた。なんでいきませてくれないのか、イジメか!とか。
今回はもう自力で歩いて分娩室へ行く事が出来なくなっていたので、車椅子でなんとか運んでもらいました。
分娩台へはなんとか自力でよじのぼったけれど、先に生まれた赤ちゃんの処置で助産師さん達も忙しくて、分娩台の所には私と主人の二人っきりが放置状態。
すぐ隣の新生児室に助産師さんがいるにはいるのだけれど、なんか放置プレイみたいでとても心細かったのは覚えています。
「もう子宮口は全開だから、いきみの波が来たらいきんでいいですよ」と言われたので、「よし来たああああ!」とばかりに思いっきりいきみました。
といはいえ、まだ破水もしてなければ赤ちゃんも降りてきていません。
そのいきみで赤ちゃんを降りてこさせようという方針だったのかしら。
人工破膜はしない方針の病院だたようで、いきみで破水するのを待っていたようです。
左足の股関節がもともとちょっとよろしくないので、仰向けで足を開いていきむと、左足が抜けてしまいそうになるので右側を向いた体勢でひたすらいきむ、いきむ。
冷静な方の私は、「そういえば浣腸してもらってないぞ。これ大丈夫か。大丈夫じゃないよな、出ちゃうよなー…やだなー…」なんて考えてました。
本体はいきむ、いきむ、いきむ→寝落ちの繰り返し。
横で見守る主人は、失神してるのかと思ったらしいけれど、あれは寝落ちだったんです。
それくらい綺麗に意識を失うように寝ていました。
出産体験記なんかを読んでて、陣痛の合間に寝てたっていう話がにわかに信じがたかったんだけれど、まさか自分が体験する事になるとは。
いきみの波が来てない時ってのは、本当にお腹も痛くないしなんともなくなってしまうので、スっと寝てしまえるもんなんですねぇ。
■なんか出た!
頑張っていきんでたら、なんかこう、やっぱ出るわけですよ。
主人に「う●ち出たかもwww」とか言えたりもするわけですね。陣痛の合間なら。
その直後、寝落ちしてしまうのですが(笑)
いきみの力自体、もう「全身の毛穴をブチ開けろよ!」って感じでやるので、なんか出ちゃったとか気にしてたら産めないなってのはもう諦めがつきました。この時は。
何度目かのいきみの時、まだ横を向いた状態だったのだけれど、
「こ゜ぽんっ!」
という藤田和日郎ちっくな擬音と共に、何かが、出た感触がしました。
今度は明らかに後ろからじゃなく、前から。
何か質量のあるものが出てきた感触。
完全に眠気はぶっとんで、新生児室にいる助産師さんに「すいませぇん…なんかでましたぁ…」と必死に呼びかけるも聞こえないようで来てくれません。
思いのほか声が出なくて、大声で呼んでるつもりがウィスパーボイスだったようです。
主人が大声で呼んでくれたらちゃんと来てくれて、診察。
まだこの時点で産褥ショーツを身に着けてる状態です。
ベリっとはがして見て貰うと、なんか羊膜が出てきてたらしいです。
「あら、破水はまだだったっけ?膜がこっちに出てきただけよ~。もうちょっと頑張って!」といわれ、またショーツ閉じられました(笑)
そんでまた助産師さんは隣の部屋に行っちゃいました・・
え、いいの?それでいいの?大丈夫なの?お産ってそんなもんなの?www
なんかこうもっと助産師さんとか何人かいて、先生もいてつきっきりで進むもんじゃないの?w
こんな放置でええの?ww
と、冷静な方の自分はちょっと不安になってきたようです。
もうちょっと頑張って、といわれたので、引き続きいきみます。
何か出てきてる感じはしたので、横向きじゃなく仰向けで頑張ります。
もう、いきみってアレだよね。冷静な方の私からすれば、どこの下品なエロゲだよっていう声しか出ないよね。
ガチで「ん゛ほぉおお゛お゛お゛お゛お゛お゛」みたいな。頭の血管がブチ切れるんじゃないかっていうくらい頑張るもんね。
あのいきみパワー、腹筋じゃなくて子宮収縮のパワーだから凄いと思う。
人生最高の血圧になるくらい、って言われてるんだったか、このいきみの時。
■いよいよ、運命の瞬間
上を向いて頑張っていきんでると、さっきの羊膜?とはまた全然違った、もっと質量のある何かが体をこじ開けて出てくる感触がしました。
これまた汚い例えで申し訳ないんだけれど、後ろと前とが完全に繋がっちゃったような錯覚というか、もうどっちから何が出てるとかそういう区別なんか全然つかないくらいの、圧倒的質量。
まさに、マスクメロンだからスイカだか、そんな感じ。カボチャでもいい。とにかくそういうものが出てくる感じ。
いきむと、それが明らかに外に出ようとしていて、産褥ショーツを押しのけて出てこようとして、マジックテープがペリペリ剥がれそうになってる。
一度だけ、ピコっと引っ込んじゃったけれど、それ以降はずっとおまたにカボチャがいる感じ。
いきまない時でも、中に引っ込んだりせずにそこにある。
陣痛の合間に、なんとか主人に「出てる…出てきてる…」と訴えて、隣の部屋の助産師さんを呼んでもらいました。
さっきとは別の助産師さんが来て、ショーツを開いて見てくれました。
「おかぷぅさん!もう生まれるよ!!そのまま力を抜いて!もういきまなくていい!」
えwwwwwマジでwwwwwほぼここまで単独プレイwwwwwお産ってそんな放置プレイなのかwwww
足元でバタバタと準備をする助産師さん。
もう一人の助産師さんに声をかけて、先生を呼んでもらう。(先生は外来の診察をやっていたので)
分娩台がなんか変形して最終形態みたいになっていく。
足を開いて両サイドの足載せ台みたいな所に乗せ、今まで足を伸ばしていた部分が折りたたまれて、そこに助産師さんが座る。
会陰付近をなにやら処置している感じだったので、冷静な自分が「あぁ…切るのかな、痛いんだろな、こんだけ冷静なんだもん、痛いの分かっちゃうよな…こえー」とか考えてました。
本体は、いきんじゃだめと言われたので、また少しの間いきみ逃しに奮闘。
助産師さんは会陰保護をしながら、先生の到着を待っていたようです。
先生が到着して、バトンタッチ。このあたりは詳細には覚えていません。
それから何度か、最後のいきみをやったのかな。
「ご主人!頭出てきたよ!もう生まれるからね、おかぷぅさんよく頑張ったね!」
私は流石に出てきたらしい頭を見る余裕は無かったのだけど、主人にはハッキリと見えていたらしく、もうその時から既に感極まっていたようです。
主人は私の左肩付近から、私の左手を握り、私の頭をなで続けてくれていて、その場所から頭が出てきたのを見ていました。
それから少しして、本当に最後のいきみ、そんなに強くではなく、ほぼ子宮収縮の力に任せる感じの、少しのいきみ。
次の瞬間、体の中身を全て持っていかれるような、凄い感触と、
「バッシャーーーーー!!」
というダムの放水のような音。
その瞬間、元気な産声が聞こえました。
もうとにかく、その声を聞いた時の凄い安心感と、「やっと終わった…!!!」という喜びと。
何より、体の中身が一気に流れ出る感触があまりに凄くて、それ自体に感動してしまって。
主人と顔を見合わせ、感動を分かち合う…と思いきや、その時の感動のベクトルが夫婦で若干ズレていた感じが、後から冷静に考えると凄く面白かったです。
主人「ありがとう…!よく頑張った…!産んでくれてありがとう…!」
私「うんそれは分かったからさ!凄かったんだって!バッシャー!って出たの!全部凄い出た!バッシャー!」
こんな感じのズレでした。実際は顔を見合わせて二人で涙流してる光景だったんですけれど、心情のズレは上記の通りです(笑)
バッシャーと出ただけあって、先生も「羊水多かったなぁ」と呟いておりました。
だからプカプカ浮いててなかなか降りてこなかったのかな?
■分娩室での交流会
生まれたての赤ちゃんは、分娩台のすぐ脇にある保温ベッドのような所に寝かされて、色々と処置を受けてました。

それを眺めながら、私も分娩後の処置をしてもらっていました。
胎盤が中々出てこなくて、助産師さんがちょっと苦戦していました。
先生にバトンタッチしてクイクイ引っ張ってもらってやっと出てきたんですが、まぁ胎盤も立派だったそうで。
他の人だと大体500グラムくらいらしいんですけど、私の胎盤は700グラムくらいあったそうです。
いやー、よく食べよく寝てよく運動したマタニティライフでしたからね…。
そりゃそんだけ胎盤が立派なら、子もデカくなるってもんですよね。
胎盤は運ばれていくのをチラっと遠目に見ただけですが、「いかにも臓物」って感じでした。
実はじっくり見てみたかったと内心思っていました。滅多に見れるもんじゃないので(笑)
助産師さんの保護のお陰か、会陰切開は結局する必要がなく、内部で少し裂傷してしまっていた程度。
なので、麻酔をして中を先生に縫って貰いました。
思えば、体を縫うっていうのは生まれて初めてだなぁ。今までは手術すら経験した事がないし、縫うほどの怪我もした事がありません。
そう考えると、私は今まで随分と健康に生きてこれたんだなぁと、妙な所で感動してしまいました。
処置が終わって、赤ちゃんの体重も判明。
先生が「3620グラムです。立派でした(笑)おめでとうございます(笑)」と笑っていました。
母とお義母さんも分娩室に入ってもらって、みんなで抱っこしたり写真を撮ったり。
おっぱいをふくませてみたら、ちゃんと吸ってくれて凄く感動しました。
ついさっきまでお腹の中で羊水に浮いてて呼吸もしてなかったのに、もうおっぱいは吸うんだなぁ…
人間ってすごいなぁと、ひたすら感動しておりました。
そして、ぺたんこになった自分のお腹を触って、なんともいえない気持ちになりました。
ついさっきまでここにいたんだよなぁ、すごいなぁという不思議な感じと。
あぁ、もうここにはいないんだなぁ、もう私だけのものじゃなくなっちゃったなぁ、というとても寂しい気持ちと。
やっと大変なマタニティライフが終わったなぁという達成感と。
こんなに柔らかかったのね私のお腹wwwっていうビックリ感と(笑)
とにかく、色々な気持ちが沢山こみ上げてきました。
わが子に初めてかけた言葉は、確か「やっと会えたねぇ」だったか「やっと出てきたかぁ」だったと思います。
ずっと一番近くにいたのに、直接触れることもこの目で見る事も出来ない存在だったんだよね。
某SNSで繋がってる方が言ってました。
「赤ちゃんはリボンをかけたプレゼント。まだ開けちゃダメだけど、箱を抱いてわくわく。中の子も、おんもはまだかとわくわく。」
本当にそうだと思う。素敵な比喩です。最高の贈り物。
■病室へ
2時間程分娩室で休憩した後、助産師さんに付き添ってもらって病室へ戻りました。
分娩台から降りる時もサポートなしでひょいと降りて、その後もフラつく事なくスタスタと歩いて病室に戻る私を見て、助産師さんがひたすら関心していました。
「おかぷぅさん…すごい…///」って。
出産前は陣痛誘発のためにひたすら歩いていたのがよかったみたいです。
お陰で体力もついたし、しっかり食事もとっていたから貧血にもならず。
ちなみに後から母子手帳を見てみたら、出血量は中量で、410ml程度だったみたいです。
ひじきも毎日食べてたしね!貧血になんかなるもんか!鉄剤なんか飲むもんか!って。
(鉄剤は便秘がマッハになる恐怖の薬だと聞いていたので絶対飲みたくなかった)
■入院生活
出産当日は母子同室はせずに、助産師さんに娘を預かってもらって、夜はひたすらぐっすり眠りました。
分娩前に持ってきてもらっていた昼食も、あまりにもお腹が空いてたので、病室に戻って16時くらいにペロっと平らげました。
その2時間後にもう夕飯が運ばれてきたのだけれど、それもペロっと食べましたw
その日はとにかくスコーンと寝落ち。泥のように眠りました。
夕飯の後の記憶が殆どありません。
翌日は母子同室頑張ってみたけれど、夜何をしても泣き止まなかったりでギブアップ。
初日は残念な結果になりました。
二日目はなんとか添い遂げたけれど、おっぱいを上手く吸わせてあげられなかったりでほぼ徹夜。
少しずつコツを掴みつつ、母乳が出るように二人で頑張った入院生活でした。
運良く、桶谷式の認定者でもある助産師さんがいて、入院中におっぱいの事を色々教えてもらうことができました。
3分程度のマッサージで、おっぱいがもの凄くふわふわになって、主人と二人で凄く感動。
自称・おっぱいマニアだという助産師Sさんに感謝。
何かあったら、近くの桶谷式の相談室にお世話になろうと思います。
■退院後
2月9日に無事退院。

病院の食事が美味しくて退院が辛かったです…。
あのクオリティの食事が自動で出てくる生活に慣れたら、もうおうちでご飯作るのやんなっちゃいます。
病院食はマズイって言うけど、私が入院した病院の食事は超美味しかった。
夫婦で食べるお祝い膳も凄いボリュームで美味しかったし!
退院してからは、毎日が戦争。
どこかの誰かが「赤ちゃんは2時間ごとにおっぱいとオムツだぞ」とか言ってたけど、そんなキッチリなタイマーが搭載されてたら苦労しないっ!
おっぱい飲ませて寝るかなーと思ったらおしっこ、オムツ変えてたらグズって寝なくなるからまた少しおっぱい、そしてやっと寝るかと思ったら今度はウンチ。
オムツをまた変えてあげたらグズって寝ないからおっぱい…そしたらまたおしっこして…おい!いつになったら寝るんだ!
っていうループにハマる事もよくあります。
最近じゃ、オムツを変える時に、「ホレ、そろそろウンチじゃろ?今してしまえー」と、おしり拭きで刺激してプリプリさせるテクも身に付きました。
顔を眺めてると、毎日違う表情で本当に飽きません。
おっぱいを飲んで、満足そうにトロ~ンとしてぐんにゃりして、半分寝ぼけながらニコーっと笑う顔を見るのが、今は一番幸せな瞬間です。
後は、おっぱいを口から離した時にまだ吸ってるつもりでいるのか、口をチュッパチュッパしてエアおっぱいしてる顔とかもう超かわいい。
他の赤ちゃんとか見ても、主人と二人で「うちの娘が一番かわいいよね」と親バカ炸裂です。
ホント、客観的に見たら赤ちゃんなんてみんな同じようなものなのに、自分達の子供が世界で一番可愛いくてたまりません。
■命名
ネット上ですので明言は控えますが、私達夫婦の名前から一文字ずつとって名づけました。
読みもそのまま素直に読める名前です。
少なくとも、「読めない!」というタイプの名前ではなく、どちらかと言えば古風な普通の名前になりました。
私達夫婦の娘である証、将来お嫁に行っても私達の娘、という思いを込めて命名しました。
このブログでは、「ぴぃこ」と表記いたします。
-----------------------------
その他後日談など。
■腹筋
行方不明。
10ヶ月間伸びっぱなしだったお陰で、本当に腹筋に力が入りません。
思いっきり咳をしたくても、「ぇっへ」って感じでしか出ません。
爆笑してんのに、「ぁは、ぁは、ぇひ」って感じで思いっきり笑えないんです。
今現在は結構戻ってきたかな。咳や笑いは随分普通にできるようになりました。
■尻穴
爆発しました。
覚悟はしてたけど、産後初めてトイレ行った時に仰天したよ!
もともとデスクワーカー&便秘体質なせいで痔主だったけど、もうそれどころじゃない。
マジで爆発してた。某国かと。
■体重
出産直後の体重を量り損ねたけど、退院時は出産直前からマイナス6キロ。
入院中に食っちゃ寝してたから多少は増えてたんじゃないかと思う。
で、今現在はそこから更にマイナス3キロくらい。
家に戻ってからも、家事は夕飯を作るくらいしかしてなくて、それ以外は基本的に食べておっぱいあげて抱っこしてオムツ変えて寝るの繰り返し。
それでも体重がじわじわ減るのだから、母乳って凄いよね。
■母乳
今では溢れる程出ています。
自分でも舐めてみたけど、ほんのりと優しい甘さで結構美味しいです(笑)
ミルキーはママの味、ってこういう事かーと、ちょっと納得しました。
食事と体調次第でまずくなってしまうので、この調子で美味しいおっぱいをキープしていきたいと思います。
※大人が飲むとおなかを下すらしいですね、母乳って。
■そんなわけで
長々とここまで目を通してくださって、ありがとうございます。
入院から30時間以上の長い長いお産でしたが、終わってみれば本当にあの苦しみをすっかり忘れてしまっています。
陣痛の痛み、本当にもう思い出せません。
けれど、産んだあの瞬間の事は、多分一生忘れないと思います。
色々と頑張って、二人目も生みたいな。出来れば男の子。
一姫二太郎を目指して、今後も家事に育児に仕事に、精一杯頑張っていきたいと思います。