ゲルニカ・・・ピカソと中村一義
久しぶりの更新です。
最近は、時間の余裕も出来たこともあり、もろもろ自身の映像作品を作ろうと、がんばっております。
ブログを書いていく作業も、誰が読むともわからないなりに、小さいながらも自分の表現活動のひとつ、と考えて
続けていくつもりなんですが・・・なかなかうまくかけない日々でした。
そんななか、久しぶりに書こうと思ったのは、やはりあの911から5年経た今。その自分の心境を何らかの形で書いておきたいな、と思ったからで。
そのきっかけとなったのが、「ゲルニカ」。もちろんかの有名なピカソの絵のことですが、直接的には、そのゲルニカをテーマに、した中村一義の隠れた名曲「ゲルニカ」。その歌に改めて感動したので、ここに雑記しておきます。
中村一義 アルバム「ERA]
収録曲「ゲルニカ」
真っ白と黒のゲルニカに、たくさん色を塗れたら 目の前に
真っ白と黒のゲルニカに、たくさん色を見たいから
あの人は今 捨てられた犬を焼いている
誰であれ独裁者になれる その片隅で
真っ白と黒のゲルニカに、たくさん色を塗れたら 目の前に
真っ白と黒のゲルニカに、たくさん色を見たいから
新世紀だろうが 何も変わりやしない
見てみなよ 独裁者が叫ぶ
革命はエゴさ
真っ白と黒のゲルニカに、たくさん色を塗れたら 目の前に
真っ白と黒のゲルニカに、たくさん色を見たいから
目をそらさずに見て欲しい 本当にあることから 目をそらさずに
何枚ゲルニカのレプリカを、描いては焼いたのさ?
死んだふり?
死んだふり?
死んだふり?
なら死ねよ・・・
そんな歌です。以前から大好きな歌だったんですが・・・911後の世界について、漠然と思いをめぐらせていたら・・・
すごくリアルに響いてきました。
ピカソのゲルニカが描かれた背景は・・・1937年、フランコの要請に応じたヒトラーの空軍が、突然スペインの小さな村ゲルニカを爆撃した。そしてわずか3時間の間に二千人もの村人が殺害されてしまった。この村の全人口は、当時七千人だったから、村の三分の一に近い人々が殺された・・・そのことに対する怒りと悲しみ、また当時芸術家が弾圧されていたことへの抵抗の意志、そうした思いをピカソが、キャンバスに託した作品、です。
以下ピカソの談話から
スペインの戦争は、人民と自由に対する反動の戦争だ。
私の全芸術的生涯は、ただ芸術の死と反動に対する闘いのみであった。
私が制作中の『ゲルニカ』と呼ぶことになる作品と最近の私の全作 品において、スペインを恐怖と死の海に沈み込ませた軍事力に対する私の恐怖感をはっきりと表現している…。
(こんな時代に)他人に無関心でいられようか。
こんなにも豊かなものをもたらしてくれる人生に無頓着でいることなどできるのだろうか。
そんな筈がない。絵画は家を飾るためにあるのではない。
それは敵に対する戦争の防御と攻撃の手段でもある….
いつか平和になったらこの作品をスペインに飾るようにしたい」
ゲルニカをそう位置づけたピカソ。
「自分の芸術は部屋を飾るために描いたのではない」
なんて力強い言葉=芸術なんでしょうね。
対して、その思いを、現代的で洗練された、あくまでポップソングという形で提示した中村の「ゲルニカ」。
「何枚ゲルニカのレプリカを、描いては焼いたのさ?」
度重ねられる戦争という愚行。その度に、何枚も描かざるを得ないはずの、本物の「ゲルニカ」の絵。
友人PKUMMYYさんのブログの記事を、やはりここで紹介しておきます。
イスラエルとヒズボラの、その背後にあるアメリカならびに大国のエゴ、その「目をそらさずに見て欲しい」現実
http://ameblo.jp/pkkumyy/entry-10014899412.html
http://ameblo.jp/pkkumyy/entry-10014920674.html
http://ameblo.jp/pkkumyy/entry-10014891825.html
※記事にリンクされていたパレスチナの犠牲になった子供たちの写真。現在は見れなくなっています。つらすぎる画像だったんですが・・・
911からイラク戦争への流れ。その後へ続く、イスラエルとヒズボラ。堰を切ったように、憎しみの連鎖が溢れ出していく、その構造。
誰が本当の独裁者なのか。
それは誰でもない、ここそこにいる「片隅の」人々。
かの戦地へ、志半ばにして人質になった若者へ、それは「自己責任で」、と分かりやすい独裁者が語り、かの地へ行った若者たちへ、皆が叫ぶ。それはあんたらの「エゴさ」と。
「美しい国」を目指し、ほどよく統制され、「エゴ」なしに「美しく」戦う人々の国・ニッポンを目指す、独裁者の後継者たち。
そしてこうした平和な場所で、他国の悲惨な現実を前にし・・・「平和への祈り」を、「レプリカのゲルニカ」、に託して、とりあえず掲げては見る・・・が、その抵抗の意志を託したレプリカは、やっぱり、いとも簡単に、「誰か」に「焼かれ」てしまう・・・
その後はただただ・・・誰かホンモノを待ちわびながら・・「死んだふり」、死んだふり・・・
すべて自分のことですね。これは。
そういう自分に対し・・・
「なら死ねよ」
そうですね・・・その通りです。死んだふりしてるくらいなら、死ねよ。
30才前の若造、中村一義の歌の多くに、いまだ胸をつまらせてしまう自分。
告白すると、40を前にした自分のテーマソングみたいなものも、中村一義の曲だったりします(その曲は「永遠なるもの」という曲。いずれ書き記します・・・)
911テロから5年目と6日過ぎた、9月17日。
「死んだふり」しない、人生を。
送るために、なんとかがんばっていきますよ。へぼいながらも。