【50】2024 令和6年8月2日(金) ☀
山⛰仲間と共に平和行進に参加し,炎天下,噴き出る汗をぬぐいながら歩いた。
この平和行進は1958年,広島から東京に向けて原水爆禁止の願いを訴えながら
歩かれた様だ。その後は,逆に広島へと向けて多くの賛同者を加えて歩かれてきた。
今年は67回目である。
コースは,長崎→広島コース 東京→広島Aコース 東京→広島Bコース
富山→広島コースがある。
私は,東京ー広島Aコースに参加。
東京を出発した後,県内の福山-尾道ー三原-東広島ー 呉(仁方駅前)ー呉(呉市役所前)
ー坂役場ー府中原爆慰霊碑と受け継いでいき,8月4日 11:30平和公園噴水前に到着
するコースのうち,呉市役所前で参加した。
昨今の世界情勢を鑑みても,平和な日常に甘んじているわけにはいかない。
自宅から,出発式が行われる市役所前迄,町中を見ながら歩いて行った。
9:10から庁舎玄関口で出発式が行われた。
愛知県から参加されている人や,外国からの留学生さんたちの紹介,取り組みの
内容などを話され,市の方からの激励も受け,出発した。
各団体の旗を掲げて炎天下を歩く。
「平和」の文字がはためく。平和でなければ山登りなんて出来ない!
物品を積んだ車は,先導しながらマイクで核兵器廃絶を訴える。
今年は心強い休憩車でもあった。
商店街の中の狭い道路を通過,赤信号でも行進の列を優先させてもらう。
歩いても暑い。
その中を,前へ,後ろへと走り回る姿をみて,「警察の人も大変じゃね~」と仲間と話した。
右手に灰ケ峰を望み,前方に八畳岩を望み,「平和だからこそあの山も歩ける。」
左遠くの海。今,呉の町のあの辺りは大きく変わろうとしている。
平和を発信する町になってほしい。
戦争のない世界を作っていこう。今のままでいいのか。
毎年のように二宮金次郎見守る小学校校舎の隅っこで休憩。
冷たい麦茶や紫蘇ジュース,腰を下ろして汗を拭きふき頂く。
休憩場所を出て,踏切越えて,まだまだ歩いた。すれ違う人も一緒に声をあげてくださった。
手を振って下さる方もあった。ご自宅から,お店から賛同の金一封を持って出てくださる方も
何人もあった。
緩やかな坂道に差し掛かった。緩やかと言っても暑い,暑い。
そして,最終地点 到着。
電車から降りて来た部活帰り(?)の学生さん達も一緒に手を挙げてくれた。
警察の方々,最後まで交通整理等,見守って下さり有難うございました。
≪12・7km 4時間53分【自宅~出発地点~行進(休憩2回含む)~最終地点~自宅】≫
この駅から電車で帰る二人の仲間を見送って,行進してきた道を歩いて帰った。
途中,綺麗な海が見える。眩しい。
このままを,子どもたちに残してやらなければ。
微力だけれど,来年もまた声を出そう。仲間と歩こう。
終わります。