10月1日日曜日 衣替え
今日もいい朝だなぁ、くらいで、
私は、特段というか別段というか、今日については、気になりも気づきもしなかったけれど。
いや、そこじゃなくて。
「気のせいで片付けていた」
そそ、この違和感への対応。
私はそのへんを展開したいと思います。
ちょいと、横道逸れますが、
昨日、フラリと入った占いの部屋、最後に見てもらったカードは、
『足をすくわれないように』
という1枚でした。
その中には、「他人・対人・自分」「知恵・狡猾」というキーワードがあったようです。
なるほどー。
心当たりあるよな、ないよな。
…で、
話をHappyちゃんの気づきに戻しますよ。
「気のせい」って思って、
誰にも言わず、ひとりで勝手に片付けていた。
コレさ、辛くなるじゃん。
特に、大人になると
「またまたー」とか、「えー、鋭いねぇ、私にはわかんないからなー」とか、「そんなこと言うもんじゃない」とか、
どちらか言うと否定ぽいこと言われるのよね。
当然、
そんなこと感じる私が"おかしい"んかな…
とか思うわけです。
だから、そこを脱却したい、そして、
こういうことを「感じていいんだ」「言ってもいいんだ」と思える環境を探したり、言っても大丈夫なひととのお付き合いを求めるのは、至極もっともなのですよ。
けれども、ここで、とても重要な注意事項に、
このHappyちゃんのブログを読んで気づきました。
今までなら、ともすれば「ヘンテコ発言」ととらえられていた、この気持ち。
隠さずに言えるようになりました。
言っても否定されたり笑われたりしません。
それどころか「そうだね」「私も」って声が聞こえます。
自分も自信もって、いいんだ、言っても、と思えるようになりました。
でも、ちょっと待って。
「シンパシィ」ほんとですか?
「私の言うこと」ほんとに同感してくれてますか?
わからないのに、わかると言ったり、ごまかしたりしてませんか?
「何」を見て(聞いて)くれてますか?
「あの人が言ってるんだから」なんて思ってそうじゃありませんか?
それ「同調者」か「取り巻き」か(どちらがいい・悪いではないです。どちらも大切ですから)。
言われたように受け取るのは、当たり前です。
そのように信じるのも、当たり前です。
だからこそ、
「信じるものは救われる」し「正直者はバカを見る」のです。
だからといって、
なにも、頭から疑えと言っているのではありません。
けれど、そこもまた、
もしも違和感を感じたら、手放さなければならない、ということなのです。
しかも、
躊躇なく手放さなければならないものなのです。
フタをしたり、
我慢してはいけないものなのです。
そう、全ては、まずは自分から、なのですよ。
これも、Happyちゃんのブログで言う通り。
そして、昨日カードが教えてくれていたことは、こういうことなのかもしれないな、と思った次第です。
「衣替えって何?」て我が家の中学生に聞かれて、なんか育て方間違えたようだと猛省中の秋です。
素敵な毎日を。
愛をこめて。
おかん。