「失うことへの恐怖」は、幻想だった。 | おかんのちゃぶ台☆しゃべりと歌でココロにアプローチする主婦 ・ ババーランド(仮)代表

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あなたに、伝えたい。
ちゃぶ台で紡ぎ出されるコトバたち。
1968年生まれの、女 兼 妻 兼 母 兼 主婦
心理学・セラピー・カウンセリングあたりを得意技に
オールマイティに暮らしています。
そんな"おかん"の日々の雑記。すべては、愛ですよ、愛。

6月12日月曜日


外に出たら、梅雨の晴れ間の青い空。
夏の空に近づいてるなぁ。

さっぱりしてるけど、
少し重たいこの空気感。

肌に感じたら、
胸に湧く感情。


ああ、わたし、怖かったんだな。


置いていかれるのがさみしい、
のだとばかり思っていた。

全く違った。

私が、置いていってしまうこと。
置いていって、わたしひとり、
限りなく先頭に近づいていくこと。

いや、でもそれは
私にとってはひとりじゃないの、
行った先には、
また別の仲間がいる。

そう、また「別」の。



それなのに、なぜ、
こんなに恐れ、罪悪感を持つのか?



手を繋いでいた恋人がはぐれた、

と思ってみたらわかると思う。



「ほんと楽しいよねー!もうすぐ着くよ!」
って、振り返ったら、手を繋いでいた大切なひとがいない。

そこにいると思って、
その手を握っていると思って、
前を向いて歩いていたはず。

追い抜かれたらわかるはず。
背中は見えなかった。

後ろにも、隣にも、いない。

「一緒に行きたい」
「連れてって」
って言ってくれたから、
手を繋いでいたけど、

自分の歩幅が合わなかった?
自分の早さと合わなかった?
手が痛かった?
つまらなくなった?

今、どこかな。

少し止まって待つよ。

だって、あの場所へは一緒に行きたいから。

何か言ってたのに、聞いてなかったのかな、自分。

もう少し待ったら、戻って探してみようか。

そんな気なかったのに、真に受けて、ひとりで盛り上がっちゃったのかな。

心配だな、大丈夫かな、ひとりで泣いてないかな?
そんなことないかもしれないけど、さみしくないかな、おこってるかな?



なんて心配してたのに、
少し戻って探してみたら、



以前に、自分には
「印象悪い」って言ってた連中と、
楽しそうに、ワイワイやってる。

こちらをチラッと見て、悪びれもせず、
「あ、もういいからー」
「ひとりで行ってー」

自分を仲間に入れようなんて、
ちっとも思ってなさそう。





……てなことが起こったら嫌だ、と。

思うと、そりゃ、悲しいわな。


「信じてたのに」って言う方が、
実は
「信じていなかった」ってやつ。


だって、怖いんですもの。


でも、逆に、
それを置いて行けば、
同じように、自分にも、
「違う仲間」がいるわけで。


おあいこなのにね。



自分がしたくてしたのに、
裏切られたとか、
最後には他人のせいにする。


そんなの、べつにいいじゃん。


だれのせいでもなかった。



はぐれたときに、
自分ひとりで自分に
「さみしいね」
と言えばよかっただけ。

そうして
手を離した相手にも
「あなたが楽しいのならそれでいいよ」
と言えばいいだけ。



ただ、それだけのことが、怖かった。



私が、
私の大切なものを
「失う」ことに思えて。



決してそんなことはないのに。

それらはいつでも、そこにある。



私はなにも失っていなかったのだ。



これからも、失うことなど、ありはしないのだ。



だって、
私がしたくてしてるだけだから。



目の前にいたはずが、
目の前にいないから、なんて
そんなことで、
好きなことは、愛していることは、
変わりはしないのに。

変わるとしたら、もっと別のことなのに。


そして、
変わらないものなど、何もないのに。


なにもかも、
思ってるよりもっとシンプルだから。







素敵な毎日を。

愛と感謝をこめて。


おかん。