親に対する愛着が欠落した時…というのは大袈裟かもしれませんが、失意の瞬間はありました。


私と弟は年子ですが、弟を出産する為に母が家を出た時です。父の後方に立ち出て行く母を見ながら私は〝捨てられた〟思いました。〝自分はこの男の人と一緒に暮らすんだ〟と、とても寂しい気持ちでいたのを記憶しています。

その後、(弟を出産した)母が玄関から入って来たのが不思議でずっと固まっていました。

母:「オカナク、私だよ?お母さんだよ??」

不安そうな母の姿を見ながらその言葉にハッと我に返り、ヨタヨタと近づいて母のニオイに気づくと大泣きして腰付近にくっついたのを覚えています。

※泣きじゃくるの方が表現近いかも。


当時の話をここ最近、母と話し合いました。

母自身も「娘なのに、その時だけは違う子に見えた」そうです。

当然と言えば当然です。なぜなら私は母から縁を切られたと思ったので、その雰囲気を感じ取ったのでしょう。


それからもう1度、痔の手術で母が入院となった日は弟と仲良く母の居ない実家をプチ旅行気分で過ごしていました(パジャマ姿でアイス片手にピースする姉弟の写真がある)。


私がもし、妹弟を出産する時にはこんな思いはさせないと心に誓っています。

小さいこであってもちゃんとひとりの人間であり、親の所有物ではない。さまざまな経験から強く考え込むクセがついてしまいました。


この幼少期におけるたった1回の離別によって〝この人は母ではない〟と仮定した結果、弁当を冷凍食品にしたり優しそうに見えて実はヒステリックな性格に加え『本当に好きな人と結婚していない』と断定出来たわけです。


ただ。


うちは、お金の心配だけは絶対にさせなかった両親でした。必要最低限以上の暮らしをさせてもらえました。

その分、私達には分からない苦労をしてきているはずです。


とは言いつつも、世の中のアベックのうちどれだけの人々が相思相愛で結ばれるのか。


知りたいと願うこの頃です。


久しぶりの旅行で母の居ない実家。ひとりでぬくぬくしています。

〝ひとりで住むには大き過ぎる家だな〟と思いながら、仕事終わりにご飯も食べずゲームをやり込む。

もう何で生きているのか分からなくなってきました。