集団生活と集団行動の教育の限界 | 不登校の母の総合窓口オカンの駆け込み寺 

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3人子どもの不登校経験を経て、今は支援する人。学校で支援したり、渋谷のワンコがいる居場所だったり。「ことば」「食事」「住環境」の観点から不登校を解決しています。

 

ポジティブ不登校のすゝめfes

〜オカンが笑えば世界は変わる〜

1月28日(日) 大田区民ホールアプリコ

 

 

私が小さい時は集団で何かをすることが当然だった。

集団で行動することも何の疑問も感じなかった。

 

情報が少ない時代はそれで良かったと思う。

 

インターネットの普及がアラブの春の一因とも言われるように

 

子供達の情報量が増えたことで不登校が増えたということもあると思ってます。

 

何で学校に行くの?

学校に行く意味って?

集団で一緒に何でやらなきゃいけないの?

 

そういうことに疑問を感じた子たちは学校に対して、疑問符が生じて、

それに対して大人がしっかりと答えられないから

子どもたちは、そのギャップに自分自身が消化できなくて学校に行けなくなる

 

敏感な子は今のこの違和感に気がついているんですよね。

 

そういう子たちは色々な可能性がある。

 

みんなと同じってなんかおかしくない?と思っても

→人と一緒の行動ができない人はダメ認定

 

人と比べるって意味あるの?自分は自分の物差し持ってるけど

→人と比べて競争させることが目的の教育

 

こういうことに気がついてる子は学校を離れています。

 

おかしいって思った子は、もう学校を見捨ててるのかもしれない。

 

でもこれにフィットしない子達を「不登校」というワードにして、結果的に排除している今のシステムを変えていかないと

 

可能性がいっぱいある子たちの芽を潰して、国の成長が止まることになると思います。

 

この教育こそが世界から遅れをとっている大きな要素の一員だと私は思っています。

 

 

個性を伸ばすということを言ってますが、多くの学校の学校教育は真逆だと思います。

これ似合わない子は、しんどいですよね、

 

だからこそ、学校に合わない場合は、胸張るくらいでいいと思ってます。

 

学校を決して批判しているわけではないです。

 

これは日本の教育のシステムの問題だと思います。

 

そしてそれに立ち向かって変えていこうという教育者、学校の先生、教育長がいることは私にとっては大きな希望の星です。

 

そう言う人たちと一緒に力を合わせて、変えていきたいと思います!

 

1月28日のポジティブ不登校のすゝめfesでも皆さんと一緒に考える時間にしたいと思います!

ぜひお越しください