こんばんは。0の占星術師 岡村美稚です。

今夜は,かの有名な天才易学者「高島 嘉右衛門」さんの人生を読み解いていきます。

偶然は必然・・彼が「易学」を学ぶ切っ掛けは,「牢獄」にあったのです。後,彼は「易聖」と呼ばれるほどの大人物になったのです。

これは,まるで中国商王の暴君「紂王」に睨まれて幽閉された「文王(周)」と同じ様なのです。文王も幽閉された数年間に,先天図を学び「天の易=周易=後天図」を創りあげたのです。後,文王は「聖王」として崇められ、易学を活かして為政者の手本となったのです。
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※易経…古代中国の占筮(細い竹を使用する占い)の書である。符号(シンボル)を用いて状態の変遷、変化の予測を体系化した古典。中心思想は、陰と陽2種の元素の対立と統合により、世間万物の変化の法則キラキラを説く。
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☆高島 嘉右衛門(たかしま かえもん) さん
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・1832年12月24日―1914年10月16日没(82歳)
・土王星(陽+)・辰年生まれ・人気の性
・横浜の実業家および易断家
・幼名は清三郎。後に嘉衛門,嘉右衛門に改名。号は呑象(ドンショウ)


○幼少の頃,四書五経(易経)や六諭衍義などを学ぶ。
・何度か読めばすべて覚えてしまうほど記憶力はかなり良かった。


1855年(卯・健康年カゼ)「勝手に釜が鳴りひびく不思議事象」発生。

はてなマーク男の子曰く「今日のお昼ごろですが、台所の釜が自然に鳴り出しました。火の気もありませんのに。不思議な音を出しながら半時ばかりも鳴り続けたあと、自然に止みました」
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                ※「離為火」の象

⇒高島さんは,幼少の頃習った易でこの事象を判断した。
出た卦は『離為火』=火+火の卦である。そこで,高島さんは・・

・大火が起こることを予知して,大量の材木を買収した。
・数日後,予想通り大地震が発生し,江戸が大火となり,大被害を被った。
・普請の為に必要な「材木」の売却により2万両の儲けを得た。

しかし,「健康年」だった事が災いし,
・盛岡藩藩邸普請の際に暴風雨に見舞われ材木が流出
・盛岡藩の支払い拒否

結局は「2万両の負債を抱えることになった」そうです。「健康年カゼ」は,やはり現状維持がベストなのです。お金を儲けようとすると,却って「損をする雨」羽目に陥る事になるのです。


○1859年(未・経済年)横浜に伊万里焼の磁器等を販売する肥前屋開店。

・外国人相手に,国内と国外の交換比率の違いを利用して,金貨を売り「多めに銀貨を受け取って」儲けていた⇒この交換方法は禁法⇒自首しょぼん

○1860年(申・充実年)換金違法罪の為,1865年(丑・生長年)までの「5年間」投獄された。 ※この「5年間」が高島さんの運命を変えることに・・ラブラブ!

・牢内の古畳の間から「易経」の本が出てきた為「易経」を暗誦できるまで読みふけった。紙縒りを作って筮竹として占った。

・水戸藩からも「易経」の本の差し入れが届いた。
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○1865年(丑・生長年ニコニコ)牢獄から出所。(※人生の再スタートのベスト地点)

出所後の活躍~事業編~

えっほとんどの事業で卦を立て、それに従って成功してきた。
・ガス灯建設の権利を得、フランス人技師を招いてガス工場を建設。
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・ガス灯を利用した芝居小屋港座も開設。
・大旅館「高島屋」を建設。人脈を作る社交場としても利用。
・伊藤博文と大隈重信に京浜間鉄道敷設の必要性を説明。
・語学中心の藍謝堂(通称「高島学校」)を創設。
・下水改良工事も手がけている。
・学校設立の功により明治天皇から三組の銀杯を下賜
・愛知セメント株式会社を興す
・北海道炭礦鉄道株式会社の社長に就任。石狩・十勝で拓殖事業を行う。
・東京市街鉄道株式会社社長を歴任
・清水次郎長の開拓した富士の裾野も購入


~易学関連~

・政府高官も政治の重要な事は嘉右衛門に占ってもらう者が多かった。
・日清戦争、日露戦争の占いは国民新聞や報知新聞にも掲載された。
・亡命者の金玉均や朴泳孝も嘉右衛門の世話になり門人となった。
・西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文の死期の卦までも立てた。
・伊藤博文を暗殺した犯人の人名も当てた。卦は「艮為山」で「艮が重なる」事から,暗殺者は「安重根」であると判断した。
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・著作『高島易断』は漢訳され,袁世凱等の清国知識人にも贈られた。
・著書は英訳されアメリカ・シカゴでの「世界宗教大会」に提出。
・自らの死期を予知し、生前に既に死期を記した位牌も持っていた。
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牢獄後の高島さんの人生は,かなりパワフルな人生と変わってしまったのです。当時の「長者番付」にも名前が挙がるほどの成功ぶりでした。

彼にとって「易」は「状態の変遷,変化の予測」ができるアイテムだったのです。

「易学=辰要素」なので,彼にとっては「適職」だったのです。ましてや,彼は「土王星(陽+)」の人気生まれだったので,「辰」の本質を備えた「気を読み解くのが大得意な気質」の持ち主だったのです。ですので,「大カリスマ」となることができたと判断できるのです。

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ドキドキブーケ1キラキラ星星高島さんの辿った道筋を辿ると,

まず牢獄5年間で知識を十分吸収して・・・・・・・・・「開拓生長要素」
それを「鑑定業・専門家」として決定付けた ・・・・・「決定要素」
応用力を身に付け「カリスマ易聖」として活躍した・「開花・人気要素」

つまり,土王星の人の人生を考えるならば,「開拓」⇒「生長」⇒「決定」⇒「人気地点」を目指して,この地点まで努力して到達する事が出来れば,後は,自然に「経済ラブラブ充実要素」も廻ってくる・・・という事なのです。
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0学でいうならば,土王星は,人生成功する為には,まずは「知識を十分吸収する」事が,人生を切り開く第一歩なのです。「集中力が勝負」なのです。「一つのことに集中して取り組んだ土王星」は必ず成功できるのです。趣味を仕事にする事がベストなのです。勿論「人気の仕事」に限ります。


しかし雷,高島嘉右衛門の占いの的中率は抜群であったため,「高島」「高島易断」を名乗り,その名声を利用した者が続出したそうなのです。

現代でも,それを名乗る団体は色々出ているのですが,いずれも嘉右衛門さんとは関係なく後継者の長政さんも「高島易断」を名乗って高島家縁者や門下生を装うのは「迷惑至極むっむかっ」であると語っているのです。

高島さん自身も,自分の「占い」は「売らない」と断言していたのです。「神易を以て神明に通信するを本分の職務とする」として,清い心で易者家業をしていたのです。

ですが,未だに「高島易断」と名乗って,「3000円」程度で占う事を売り物に,結局は高額な「祈祷料金」を騙し取る組織が存在しているのです。
                            高島嘉右衛門 - Wikipedia 参照

現に,財源が乏しくなると,地方にやってきて,「高島易断」と称して,かなりの額を儲けていくそうです(手相の岡部先生が言ってました)。特に,「茨城県(土浦,鉾田等)は儲かるにひひお金¥」・・と言っているそうです(涙汗)。
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0学で未来を解くなら,「豊穣の秋」が訪れるはずなのです。ところが,ずるいやり方で私腹を肥やしてきた人には,「花咲いて枯れる=根絶やし=浮気現象」が起きだすのです。ですので,「悔い改める」ことを勧めているのです。
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秋の夜長・・・高島嘉右衛門さんの様に清浄な境地に入ることをお勧めします。

では・・・また乙女座ぴかぴか(新しい)