星「0地点年からのスタートは真冬の運命となる」を検証する!


こんばんは。岡村美稚です。


さて,今回は,1997年(丑年)の「0地点年=停止年」に巨人軍に入団してからの清原選手(水王星(陰-))の選手生活を,「運命グラフ」の流れで分析していきます。


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~1997年の巨人入団より~


星空[0地点年]・・・運命は停止状態・充足タイム地点。


○1997年(丑・0地点年)開幕から4番を務めたが,この年は152回の三振を記録し,一時は応援ボイコット(応援歌・コールなし)も受けた。

・このシーズンは「清原の三振や凡打で負けた」印象が目立ち、大いに期待外れの印象を残してしまった。清原自身をプロ入り初のBクラスのシーズンを終えた。

※0地点(停止年)からのスタートだったので,実際に思うように打てなかったと判断できるのです。




雪の結晶[清算年]・・・物事を清算する地点・現状維持・充足タイム地点。


○1998年(寅・清算年)長年の神主打法からの大幅な打撃フォーム改造を敢行した。清原は打撃改造の甲斐あって絶好調。しかし左太腿肉離れなど故障もあって次第に調子を落としていった。

・結局、清原はこの年100試合近く4番を打ち,プロ入りから13年連続20本塁打の日本記録を達成したが、この年から下半身の故障に悩まされることになる。

※「下半身」は清原選手にとっては,ラッキーアイテムなので,この下半身あっての「プロ野球適職」。ところが,運気低迷地点でのスタートだった故に,このラッキーアイテム(午未要素)が故障する羽目になってしまったのです。




ドア[開拓年]・・・「種」まき地点。芽が出る地点。しかし,真冬でスタートしたことは芽を出さない。


○1999年(卯・開拓年) 開幕から怪我に悩まされる。

・阪神タイガースの藪恵壹からの死球で左手首亀裂骨折。

・6月に広島戦でクロスプレーの際に膝側副靭帯断裂。

・13年間続いた「連続20本塁打記録」は途切れてしまった。





霧[生長年]・・・本来は運気は上がっているはずだが・・・0地点スターとでは,思うようではない。


○2000年(辰・生長年) キャンプ中に肉離れ。プロ入り初の開幕二軍スタート。

・しかし、7月の復帰後初打席で代打3ランを放ち復活をアピール。
・7月恒例札幌シリーズで場外本塁打で通算400号本塁打を達成。
・夏場レギュラーの座に返り咲き、75試合の出場で16本塁打を記録




虹[決定年]・・・0要素を捨てる最終地点。本来なら,0地帯からスタートしたことは,トラブル続きとなっているので,この地点で辞めるのがベスト。運気的には上がっているが・・。


○2001年(巳・決定年) 清原は開幕から大きな怪我をすることなく打ち続け,年俸大幅アップと4年契約を勝ち得た。




カゼ[健康年]・・・蕾を付けるが「病気」「害虫」に蝕まれる地点。0でスタートした場合はまずこの地点で病気や怪我で悩まされる。トラブル続出ともなる。


○2002年(午・健康年) 開幕から好調であったが、故障のため戦線離脱。シーズン終盤には復帰し一定の成績は残した。

・故障を押して出場した日本シリーズでは松坂大輔から本塁打を放つなど巨人の日本一に貢献した。




クラッカー[人気年]・・・本来なら「開花」する年廻り。0でのスタートなので予想外のダメージを受ける。開花しない状態★となる。


○2003年(未・人気年) 早々と4番に指名され、故障に悩まされ続けながらも,トップに立ったりして記録を作ったが、シーズン後半には主に5番を打ち,評価の分かれるシーズンとなる。




さそり座[浮気年]・・・0でスタートした場合は,ここで「根絶やし」状態となるはず。しかし,適職の場合と0要素の仕事の場合は,困難に耐えて継続してしまう事が多いのである。


○2004年(申・浮気年) 出場試合数が減少。2000本安打を達成するが、成績は.228、12本塁打と低迷。

・同年シーズン終了後、戦力構想から外れたことが判明。
・残留決定の際「泥水をもすする覚悟で精一杯プレーしたい」とコメント。




リンゴ[再開年]・・・本来なら結実地点。やってきた事柄が実になる地点。しかし,0でスタートした場合は,この地点で終了となる場合が多いのである。つまり,「実にならない」運命★となってしまう。


○2005年(申・再開年)

・走法の指導を受け、下半身の強化に努めた。

・ダイヤのピアスを両耳に付けて試合に臨んだ(評判は良くなかった)
※元来巨人は茶髪、ひげ、ピアスなどは禁止。
※自らの著書「男道」で「巨人軍に契約交渉の席で煮え湯を飲まされ、その悔しさを忘れないために刺青の代わりにつけた」と述ている。


・オリックス戦で投手から頭部への死球を受け、下半身の故障も重なって成績は徐々に低迷。打率は自己最低記録となった。

・佐々木主浩の引退試合に敢えて空振り三振を喫し,八百長ともとられかねない行為には批判の声も上がった。


・『自分の実力を棚に上げて野球へ取り組んでいる』と見られるような姿勢もたびたび見られ、「俺はチュッパチャップスや」などの迷言を残し、そのことを大いに疑問視された。

・8月4日の対広島戦では,ベンチで堀内とのハイタッチを拒否した。7番打者で起用されたことに激怒したからとされている。

・素行や評判の悪さが響いてか、シーズン終了を待たずに球団から戦力外通告を受け、12月に正式に自由契約選手として公示された。


・この年のオフ巨人は若返りのために清原やタフィ・ローズが解雇、元木が引退、江藤智が西武へ人的補償で移籍するなど、ベテラン野手が数多く入れ替わった。

・同年監督を辞任した堀内は週刊ポストで「清原は野球に向かない。団体競技である野球に進んだのが間違い」と批判している。


・巨人から戦力外通告を受けた2005年シーズン終了後、オリックス・バファローズのシニアアドバイザーである仰木彬が「大阪に帰って来い。お前の最後の花道は俺が作ってやる」とオファーし、オリックス入団が決まった。




以上が,清原和博さんの巨人軍での入団してから退団するまでの活動の様子です。



適職ですので,それなりに結果を残したのですが,結果が出れば出るほど,活躍すればするほど,真冬状態に引き戻そうとする運気が足を引っ張り,怪我の連続状態となってしまいました。


それ以外にも,後半は,自ら発した「言葉」で,批判される状態ともなってしまいました。


これを0学で解くなら,「0要素に関わると誤解され嫌われる」という事なのです。

例えば,タブー職に就くと,不思議と孤立現象が起きてくるのです。孤立しない場合は,病気現象が起きるのです。その様な場合と同じ現象なのです。



清原和博さんが,巨人に籍を置いたのは9年間でしたが,辛い真冬の中で苦しみながら工夫し,怪我に耐えて戦っていたと判断できるのです。


観戦していた人たちも清原さん自身も,「何故,不調なのだ。こんな馬
鹿な・・。あれほど才能がある選手なのに・・」と思っていたはずです。



清原さんの,運気低迷の一番の原因体は,運命グラフでも判断できるのですが,「運気低迷0地帯年」からスタートした事だったのです。



ここまで,苦しい人性を歩んできた清原さんですが・・・。



★2009年の「0地点年」に,清原さんは,


「2009年1月29日、日刊スポーツ(大阪本社)と専属評論家としての契約を交わす。2009年は評論家として活動していくこととなった。」


2009年・・・0地点年
  1月・・・0地点月


またもや,0地点年を使って「スポーツ評論家」としてスタートしているのです。これもまた,早々に「真冬のスタート=うまくはいかなくなる」と判断できるのです。



☆しかし,この0地点年に同時に,この様な希望を語っているのです。


「将来的にまず二軍監督となってキャリアを積み、そして最終的には一軍監督として日本一になりたい」


これこそが,清原さんのやるべき事柄なのです。卯年か辰年から,この夢に向かって歩き出せば,良いのです。清原さんは,存在感のある「人気の性」なので,運気のいい時にスタートすれば,周囲の人が手助けしてくれるはずなのです。


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清原さんは,「人と環境に恵まれる」=「人気の性」の人なので,その気になれば,運命が守られ「望みのレール」を誰かが引いてくれるのです。それに,乗って人生を楽しみながら進めば良いだけなのです。


ですので,今度こそ,「良い時間=開拓年or生長年or決定年」を使ってのスタートをお勧めします。もちろん,11月から2月も,タブー月なので,使ってはいけないのです。4月,5月をスタート月としてお勧めします。6月と8月も運気がぶれるのでタブー月です。



清原さん(水王星(陰-))の今年と来年の2月までは,まさに「充足タイム」なのです。



人は,運命を変えることが出来るのです。ですので,自分の気持ちに従って生きる前に,運気のリズムを見て「調整する」事をお勧めします。それだけで,人生かなり変わってくるのです。


では・・・また乙女座ぴかぴか(新しい)