ノーベル・金の巳.jpgノーベル・金王星の巳年生まれ.jpgノーベル賞・湯川博士.jpgノーベル賞・ノーベル金の巳.jpg

こんばんは。0学鑑定士岡ちゃんです。

今夜は「ノーベル賞」で有名な「アルフレッド・ノーベル」の人生を読み解きます。

彼は,金王星(陰-)の星。父親が酉年生まれで,彼とは「0相性」なのです。ですので,彼は,父親の影響をうけて,タブー要素の「化学者」になり,タブー要素の「ダイナマイト」を発明してしまいました。

彼は,莫大なお金を手にしながら,恋愛もうまくいかず,訴訟問題などトラブル続き,最後は寂しく死んでいったのです。

死後,遺産相続に関してもトラブル・・しかし,このノーベル賞に関しては,すっきりと1901年からスタートできたのです。

1901年は,彼にとっては「決定年」で,スタートには最適な年回りだったのです。

★アルフレッド・ノーベル(Alfred Nobel, 1833年10月21日 - 1896年12月10日)
・金王星 巳年生まれ(再開の性)

○ダイナマイトの発明で知られる化学者、実業家。ノーベル賞の提唱者。スウェーデンのストックホルム生まれ。ダイナマイトの開発で巨万の富を築いたことから、「ダイナマイト王」とも呼ばれた。

○1833年(巳・再開年・0歳) ノーベル誕生年。
※父親のイマヌエル・ノーベル(酉年生まれ 0相性 職業は発明家・建築家)は破産したばかり。家族と別れてロシアで興した事業が成功。

○1842年(寅・健康年・9歳) 父親の住むロシア(亥・開拓方位)に向かい、科学者(0要素)ニコライ・ジーニンに師事。
※父親の事業を手伝う。主な仕事はロシア軍を相手にした機雷の製造・設置だった。

○1850年(申・背信年・15歳)から二年間、欧米7カ国を旅行して科学について広い知識を得る。
※パリでテオフィル=ジュール・ペルーズ(卯年生まれ・人気相性)の科学講座を受講している

○1854年(寅・健康・21歳)  クリミア戦争が起きると、軍から大量の注文があり、大儲けをする。
※戦争終結と同時に注文が止まったばかりでなく、軍がそれまでの支払いも延期したため、事業はたちまち逼迫。

○1855年(卯・人気年・22歳)にニトログリセリンのことを知る。起爆装置を開発。

○1859年(未・充実年・26歳) 父再び破産する。

○1862年(戌・清算年・29歳) ロシアのサンクトペテルブルグで水中爆発実験に成功。

○1863年(亥・開拓年・30歳) スウェーデンで特許を得る。
※ストックホルムの鉄道(巳要素)工事で認められる。軍(酉要素)に売り込んだが危険すぎるという理由で拒まれる。

○1864年(子・生長年・31歳) 爆発事故で弟エミール・ノーベルと5人の助手が死亡。ノーベル本人も怪我を負う。
※この事故に関してはノーベル本人は一切語っていない。父イマニュエルによれば、ニトログリセリン製造ではなく、グリセリン精製中に起きたものだという。この事故で当局からストックホルム(スウェーデン首都)での研究開発が禁止され、ハンブルグ(ドイツ・戌・清算方位)に工場を建設。また合成者の科学者アスカニオ・ソブレロ(知人・申年生まれ・背信相性)に対し、充分な対価を支払う。

○1865年(丑・決定年・32歳) ニトログリセリンの製造業を開始する。

○1866年(寅・健康年・33歳) ダイナマイトを発明する。
※衝撃に対する危険性を減らす方法を模索中、ニトロの運搬中に使用していたクッション用としての珪藻土とニトロを混同させ粘土状にしたものが、爆発威力を損なうことなく有効であることを発見。
※彼の莫大な利益を狙うシャフナーと名乗る軍人が特許権を奪おうと裁判を起こしたがこれに勝訴。

○1867年(卯・人気年・34歳) ダイナマイトに関する特許を取得する。
※その後もシャフナーによる執拗な追求は続き、アメリカ連邦議会に「ニトロの使用で事故が起きた場合、責任はノーベルにある」とする法案まで用意したため,軍事における使用権をシャフナーに譲渡。

○1871年(未・充実年・38歳) 珪藻土を活用しより安全となった爆薬をダイナマイト(ギリシア語で「力」)と名づけ生産を開始。
※50カ国で特許を得て100近い工場を持ち一躍、世界の富豪の仲間入りをする。

○1876年(子・生長年・43歳) 結婚相手を見つけようと考え,女性秘書を募集する広告を5ヶ国語で出した。

※5ヶ国語で応募してきたベルタ・キンスキー(木王星 卯年生まれ)という女性を候補とする。
⇒ノーベルにとってベルタは,「人気相性」なので「べた惚れ状態」,出会った時期も良い。彼女は「科学的思考の持ち主」だったので,理想の女性だったのだ。しかし,ベルタにとって,ノーベルは「開拓相性」の人なので,すぐに物足りなくなってしまったのだ。残念!

※しかし、ベルタは既にアートゥル・フォン・ズットナー(土王星 戌年生まれ)という婚約者がおり、ノーベルの元を去ってフォン・ズットナーと結婚した。
⇒ベルタにとって,浮気相性のアートゥルは「遊び相手」の人。しかし,二人は「霊合星人の0星・」なので,何となく気を使わなくても良い人だったのである。「0星・」生まれは,「同級生とも両親」とも縁がない「波乱万丈・パワフル人間」だから,お互い似た感覚を感じたのである。

※このベルタとの関係はノーベルの一方的なものに終わったが、ベルタが「武器をすてよ」などを著し平和主義者だったことが、のちのノーベル平和賞創設に関連していると考えられている。1905年(巳年)には,女性初のノーベル平和賞をベルタが受賞している。

※またベルタの夫であるアーサー・フォン・ズットナーは著名な数学者であった。そのためノーベルは「数学賞」を設置しなかったという俗説がある。

○1876年(子・生長年・43歳)  ベルタの後,20歳のゾフィー・ヘス(辰年・浮気相性)と出会い交流が始まる。
※ノーベルは,ゾフィーに218通の手紙を書き送った。この関係は, 1891年にゾフィーが他の男性の子供を妊娠する事で破局を迎えた。付き合いは15年間に及ぶが,結婚はしなかった。浮気相性なので,「浮気」で破局となったのである。
※ノーベルの死後、ゾフィーは「ノーベルからの手紙」をノーベル財団に"高額で買い取らせる"ことに成功したためすべてが残っており、また、ノーベル財団により公開もされている。

○1878年(寅・健康年・45歳) 兄ルードヴィ(月王星 卯年生まれ)とロベルト(丑年生まれ)と共に現在のロシアでノーベル兄弟石油会社を設立。
※この会社は1920年(申・背信年)にボリシェヴィキのバクー制圧に伴い国有化されるまで存続した。

※ノーベルにとって兄ルードヴィ(月王星 卯年生まれ)は「人気相性」で安心できる相手出であるが,兄にとってノーベルは「停止=0相性」なので「停止=うまくいかない」間柄となってしまうのである。0相性は,他の相性が良くても,結局は「停止する相性」となってしまう。

※相性の悪いにも関わらず,仕事や人間関係がうまくいく様なら,「何かを犠牲にする」ことになるのである。例えば,家族,結婚,子供,信用問題,金銭,財産,人間関係・・・などが,停止していくのである。そんな運命を背負ってしまう関係になるのである。

○1884年(申年・背信年・51歳) フランス政府からレジオン・ド・ヌール勲章を授与される。

○1890年(寅・健康年・57歳) 知人がノーベルの特許にほんのわずか変更を加えただけの特許をイギリスで取得。
※ノーベルは話し合いでの解決を希望したが、会社や弁護士の強い意向で裁判を起こす。1895年(未・充実年・62歳) 最終的にノーベル側の敗訴が確定する。

○1894年(午・経済年・61歳) 武器製造工場を買い取り、武器製造業(酉要素)に進出する。

○1895年(未・充実年・62歳) 持病の心臓病(寅・健康要素)が悪化しノーベル賞設立に関する記述のある有名な遺言状を書く。
※病気治療に医師はニトロを勧めたが、彼はそれを拒んだ。

○1896年12月7日(申・背信年・63歳) サンレモ(伊)にて脳溢血で倒れる。

※倒れる1時間前までは普通に生活し、知人に手紙を書いていた。倒れた直後に意味不明の言葉を叫び、かろうじて「電報」という単語だけが聞き取れたという。これが最後の言葉となった。急ぎ親類が呼び寄せられるが、3日後に死亡した。

※生涯独身であり、子供はいなかった。死の床にも召使がいただけで、駆けつけた親類は間に合わず、誰もいなかった。

※遺言状には,遺産を使って賞を作り、科学技術、文学、平和など合計5部門に貢献した人物に賞を贈るように記載されていた。

※ノーベル本人はこの賞に名はつけていないが、現在この賞は「ノーベル賞」と呼ばれている。2001年から現在まで賞金額は1,000万スウェーデン・クローナ(約1億円)である。


いかがでしたか?0の仕事(タブー職)に就くと,どうしてもうまくはいかない。しかし,それが成功につながってしまった場合は,「何かを犠牲にする」し,結果すべてが「無=0」になってしまうのです。

しかし,0要素の仕事は,「残された人の種」になるのです。
彼の偉業は,「ノーベル賞」となって,平和や科学の発展につながっていく・・・まさに彼は,自分の幸せを掴むことなく,人類の「肥やし」になったしまったのです。

こんな生き方も確かにあるのです。

でも,やっぱり「自分の幸せ」の方が,大切なのではないでしょうか?


では・・・また乙女座ぴかぴか(新しい)