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こんにちは。
アレテーを求めて~
今日もトコトコ( ・ω・)
弁護士の岡本卓大です。
 
【コウペンちゃんⒸるるてあ】
今日は、靴の日ですか。
お気に入りというか、靴は基本、一足で生活しています。
動きやすい黒のスニーカータイプで、公式の場もそれでいきます。
革靴も持っていますが、以前は履いていましたが最近は履きませんねぇ。
なお、事務所では、サンダルで過ごしております( ・ω・)
 
(雑学ネタ帳から引用)

東京都渋谷区神宮前に本社を、中央区銀座に本店を置き、婦人靴を中心としたオリジナルブランドの販売を全国展開するダイアナ株式会社の谷口秀夫氏が制定。

日付は「く(9)つ(2)」(靴)と読む語呂合わせから。ダイアナの靴の素晴らしさをより多くの人に知ってもらうことが目的。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。ダイアナは日本記念日協会より第8号「記念日文化功労賞」を受賞している。

 

ダイアナ

 

2月22日は「スニーカーの日」、3月15日は「靴の日・靴の記念日」、9月28日は「くつやの日」、11月9日は「いい靴の日」となっている。

(引用終わり)

 

ダイアナ靴の日…どちらかというと女性用の靴の記念日のようですね( ・ω・)

なお、3月15日も靴の日ないし靴の記念日だそうです。

 

靴のエピソードを検索していたら、こんなのがありました。

 

(TIME&EFFORTホームページより引用)

靴歴史エピソード㉓

和服に靴、洋服に下駄

和服に靴、洋服に下駄

図左:日本初のトーキー映画「マダムと女房」(1931年)は“和服に靴”キャンペーンの時代相を反映している
図右:漫画雑誌「バクショー」(1937年)に掲載された靴屋凋落、下駄隆盛の風刺漫画

 

1930(昭和5)年3月、東京靴同業組合が靴市場開拓のための初の革靴見本市を開催。業者向けの展示販売会だが、消費者への宣伝効果を意識したイベントも行われた。その一つが、第3回見本市の「和服に靴」のキャンペーン。唄(都都逸)と踊りも発表されたという。残念ながら写真は残っていないようだが、唄の一節は「お召の着物にキットの靴は、きっと似合うと主と洒落。景気回復百パーセント、靴屋は和服で靴をはけ」といったもの。ちょっと残念な感じで、靴の普及にどの程度効果があったかは不明だ。

同業組合見本市は年2回のペースで1937年まで続いたが、日華事変(日中戦争)を契機に、靴生産は軍靴にほぼ限られるようになり中止となる。同年、大蔵省が「洋服に下駄ばき登庁差支えなし」、東京府も中学生の「下駄ばき登校差支えなし」の通牒を出す。勢いを得た下駄業界は「洋服に下駄」のポスター、パンフレット、そして歌も作って宣伝に力を入れた。「非常時打破に服に下駄-----履けよ下駄、使えよ草履、国産品愛用、国のため-----天下御免の下駄と草履、カランコロンも資源愛護の良い響き」。

 
 

靴歴史エピソード㉔

統制社会の出現

統制社会の出現

“一億一心”で靴づくり──
国策雑誌「写真週報」昭和17年10月28日号に掲載された靴メーカー・千代田機械製靴(後のチヨダシューズ)

 

1931(昭和6)年の満州事変を端緒として、日中戦争から太平洋戦争へと15年戦争の時代に突入する。靴=軍需・軍靴であり、一般の靴=民需は厳しい制限、統制化に置かれた。1938年にはすべての製造業者に軍靴製造の協力要請があり、一方で民需の靴には牛・馬などの主要皮革の使用が禁止される。翌年には皮革統制会社が出来、靴の公定価格が決められる。締め付けは時を追うごとに強まり、犬・猫の皮まで統制品目となる。43年には、民間企業が革靴を作るのも、一般庶民が買うのも難しい状況になり、ついに東京靴同業組合も解散のやむなきに至る。すべての革靴が国家の統制下に置かれる非常事態の出現であった。

 
(引用終わり)
 
日本で靴が普及していったのにも歴史があるようですが、
やはり戦争のときは、靴産業も苦労したようです。
 
さて、本日の記事紹介。
宇宙一わかりやすい僕らの神話のお話( ・ω・)
オオクニヌシの国譲り

(序編)因幡の白ウサギ

 

(前編)スサノオの試練

 

 
靴が足に合っているかどうかで足の楽さがかなり変わってきますね。
私は、メーカーやブランドよりも、靴はその人の足に合っているかどうかが一番だと思います( ・ω・)
今日も、読んでくださり、ありがとうございました。