こんにちは。

アレテーを求めて~

今日もトコトコ( ・ω・)

弁護士の岡本卓大です。

 

さて、

『宇宙一わかりやすい僕らの憲法のお話( ・ω・)』

のお時間です。

 

 

1 憲法って、なんだろう?立憲主義のお話

2 民主主義って、多数決のことじゃないの?

3 三権分立 独裁者を生まないためのシステム

4 憲法前文って、なぁに?

5 象徴天皇制とジェンダーのお話

6 「個人の尊厳」と「公共の福祉」って、なんのこと?

7 「人権」とはなにか?

8 税金と民主主義

9 平和主義、その本当の意義

10 表現の自由って、どうして大事?

11 信教の自由って、どういうもの?

12 ほんとに守られてますか?学問の自由

13 昔はあたりまえじゃなかった婚姻の自由

14 生存権・・・教えて、僕らの生きる権利

15 一人の個人として育つために~学習権

16 職業選択の自由とは?

17 働く人の権利

18 財産権という人権

19 「平等」って、なに?

20 適正手続~刑事裁判と人権

21 憲法の条文に書いてない人権は認められないの?

22 国会とは?

24 内閣とは?

25 裁判所とは?

26 地方自治って、なんだろう?

27 憲法改正の手続のこと

28 最後に繰り返そう!「憲法」が大切な理由(最終回)

 

 

今回は、第18話。財産権という人権

です( ・ω・)

 

まずは、日本国憲法の条文を見てみましょう。

 

憲法第29条【財産権】

①財産権は、これを侵してはならない。

②財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。

③私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

 

 

歴史的にみると、財産権は、18世紀末の近代憲法においては、個人の不可侵の人権と理解されていました。

1789年フランス人権宣言の、「所有権は、神聖かつ不可侵の権利である」という規定(17条)は、この思想を表していました。

しかし、社会国家思想の進展にともない、財産権は社会的な拘束を負ったものと考えられるようになりました。

1919年のワイマール憲法が、「所有権は義務を伴う。その行使は、同時に公共の福祉に役立つべきである」(153条3項)と規定したのは、その思想を表現した典型的な例です。

第二次世界大戦後の憲法は、ほとんどすべて、この思想に基づいて財産権を保障しています。

 

 

個人に固有のものとしての財産権(ロックの議論)

イングランドのジョン・ロック(1632年~1704年)の議論は、個人に固有のもの(property)としての財産権を保障すべきだという議論の典型です。

ロックは、個人の身体は彼自身の所有物だという前提から出発します。

そうである以上、身体を動かすこと(労働)から生ずるものも個人のものであり、労働から生じたものが、自然のままの全人類が共同所有するものと混和した場合には、それもその個人のものになる。

たとえば、人はまだ誰のものでもない土地を開墾し耕すことで、その土地と収穫物に対する所有権を獲得し、野生の鹿や兎を捕らえ、魚を釣ることで、それらを手に入れる。

彼は労働によって、それらのものを自然状態から自らのものとして取り出したわけである。

こうして各人が得たものは、彼の固有のものであるから、それを侵すことは禁じられる。

ロックは、以上のように考えます( ・ω・)

 

社会公共の利益と財産制度(ヒュームの議論)

これに対し、スコットランドのデイヴィッド・ヒューム(1711年~1776年)は、誰がいかなるものについてどのような権利を持つかは、それぞれの社会のルールによって異なるものであり、何時でも何処でも同じように妥当する自然法があるわけではないと考えます。

しかし、いったん人がある社会に所属した以上は、その社会のルールに従うことは、彼にとっても彼以外の人々にとっても等しく利益になる。

財産の所有や交換について、なんらかの共通のルールにすべての人が従うことで初めて人々は財産を安全に保有し、互いに交換して社会生活の便宜を享受することが可能となるからである。

したがって、その社会の財産制度を保障することが出発点であり、その帰結として各個人の財産も保障されることになる。

ヒュームは、以上のように考えます( ・ω・)

 

 

さて、ロックとヒュームの考え方は一見対立するように見えますが、実際には両立が可能であると考えられています。

個人の固有のものとしての財産は、社会公共の利益を理由としても侵害しえない、最低限の生活保障のため、あるいは個人の自由な私的生活領域を保護するために不可欠な財産と考えることができます。

このような財産は憲法29条1項による保障の中核にあり、法律によっても侵害しえないものです。

 

これに対して、現在の高度に複雑化した経済社会を規制する財産法制の大部分は、当該社会のメンバーが、それに従うことに共通の利益を見いだすからこそ存在するものといえます。このような財産法制は、29条2項の定めるように、社会全体の利益つまり公共の福祉という観点から立法府によってその内容を定められ、変更されうるものといえます。

 

 

森林法違憲判決

以上のような考え方からすると、国会は、法律によって財産権の内容を何の制約もなく自由に定めることができるわけではありません。

国会の立法裁量の行使には憲法上の限界があり、1987年の森林法違憲判決(最大判昭和62.4.22民集41巻3号408頁)は、公共の福祉の観点から財産権を規制する立法がどのような基準を満たすべきかという問題を扱いました。

 

最高裁の判決は、「財産権は、それ自体に内在する制約があるほか」、「立法府が社会全体の利益を図るために加える規制により

制約を受け」、

そうした規制の目的は、「社会公共の便宜の促進、経済的弱者の保護等の社会政策及び経済政策上の積極的なものから、社会生活における安全の保障や秩序の維持等の消極的なものに至るまで多岐にわたる」ことを指摘します。

そして単独所有が「近代市民社会における原則的所有形態である」以上、「共有物がその性質上分割することのできないものでない限り、分割請求権を共有者に否定することは、憲法上、財産権の制限に該当」し、憲法29条2項にいう「公共の福祉」に適合していない限り、その制限は違憲となるとしてうえで、

森林法186条の立法目的は、「森林の細分化を防止することによって森林経営の安定を図り、ひいては森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もって国民経済の発展に資することにある」が、このような目的は公共の福祉に合致するとします。

しかし、持分価額の2分の1以下の共有者に分割請求権を否定することは、この「立法目的との関係において、合理性と必要性のいずれをも肯定することのできないことが明らか」であるから、同条は憲法29条2項に違反し、無効であるとし、結論として、持分価額2分の1以下の共有者についても、民法256条1項本文を適用して分割請求を認めるべきであるとしました。

 

 

政府や国会は、法律を通しさえすればどんな不合理な規制でもできるわけではないという一つの例となる最高裁判決でしょうか( ・ω・)

 

 

正当な補償

憲法29条3項は、補償について定めています。

公共のために私有財産が用いられた場合に補償が必要となる理由としては、通常、負担の公平と説明されます。

たとえば、道路やダムの建設などの公共事業のために土地が収用された場合、本来は社会全体で負担すべき損失が特定の土地所有者に課されたことになり、このため所有者に補償金を支払い、その負担は最終的には税金や公共料金を通じて、事業の受益者に広く負担させることが要請されることになります。

 

 

今回は、財産権という人権についてのお話でした( ・ω・)

読んでくださり、ありがとうございました。