かっこいいと思う苗字は?
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苗字を名乗ることが義務づけられた日。
江戸時代、苗字を使っていたのは貴族と武士だけだったが、1870年(明治3年)9月19日、平民が苗字を名乗ることを許可する「平民苗字許可令」という太政官布告が出された。
しかし、読み書きが不得手の人が多く、また、当時国民は明治新政府を信用しておらず、苗字を付けたらそれだけ税金を課せられるのではないかと警戒し、なかなか広まらなかった。
そこで、1875年(明治8年)2月13日、「平民も必ず姓を称し、不詳のものは新たにつけるように」と苗字を名乗ることを義務づける「平民苗字必称義務令」という太政官布告が出された。
しかし、これも簡単にいったわけではなく、酒好きでクダを巻くので「酒巻」、女好きだから「女楽」と苗字を付けるなど苦心談も残っている。
関連する記念日として、「平民苗字許可令」が出された9月19日は「苗字の日」となっている。
(引用終わり)
苗字に関連する話題として姓・苗字の違いについて、こんな話もありますね( ・ω・)
【Z会ナビ・「姓」と「苗字(名字)」の違いとは?】
https://www.zkai.co.jp/el/wp-content/uploads/sites/14/2022/11/6d0ee574d1f26bfeae0c7b1e4b7fd10f.pdf
もともと日本で姓というのは、朝廷から与えられたもので、
『源』、『平』、『藤原』、『橘』の4姓がほとんどでした。
もう一つ、天下人となった羽柴秀吉が自分の一族のために作らせたのが、
『豊臣』の姓ですね。
例えば、『徳川家康(とくがわいえやす)』なども、
公式の場では、『源家康(みなもとのいえやす)』ということになります( ・ω・)
ただ大河ドラマ『光る君へ』を見ている方は感じているかと思いますが、
例えば平安時代中期になると、朝廷の役職持ちは、『藤原』さんばかりになります。
これでは区別がしずらい。
そこで、それぞれの家族単位の『苗字(名字)』が使われるようになりました。
藤原氏も、鎌倉時代以降は、『近衛』『鷹司』『九条』『二条』『一条』などの苗字を名乗るようになります。
江戸時代の庶民は、公式の場で苗字を名乗ることを禁止されていました。
それが明治新政府が新たに戸籍を編纂するうえで、庶民も苗字を名乗ることを義務付けられたということになります。
ちなみに、夫婦別姓を認めるかどうかが現代の日本では課題となっていますが、
江戸時代の庶民は夫婦別姓だったと考えられています。
また鎌倉時代は武士階級でも夫婦別姓でした(例・「源頼朝」と「北条政子」)
そのことからすると、「伝統的・歴史的に夫婦同姓なのだ」という主張は誤りということになります( ・ω・)
さて、本日の記事紹介。
【『補講』より深く憲法を知りたい人へ】
婚姻の自由の現代的課題①~選択的夫婦別姓
日本の庶民が姓としての苗字を名乗るようになったのは、たかだか1870年から。
日本国憲法で否定された、家父長制の悪しき家制度は、明治民法で生まれたものです。
それでも選択的な夫婦別姓を認めてはいけないという根拠はどこにも無いのだろうと思いますね。
読んでくださり、ありがとうございました。
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