こんにちは。

アレテーを求めて~

今日もトコトコ( ・ω・)

弁護士の岡本卓大です。

 

さて、

『宇宙一わかりやすい僕らの憲法のお話( ・ω・)』

のお時間です。

 

 

1 憲法って、なんだろう?立憲主義のお話

2 民主主義って、多数決のことじゃないの?

3 三権分立 独裁者を生まないためのシステム

4 憲法前文って、なぁに?

5 象徴天皇制とジェンダーのお話

6 「個人の尊厳」と「公共の福祉」って、なんのこと?

7 「人権」とはなにか?

8 税金と民主主義

9 平和主義、その本当の意義

10 表現の自由って、どうして大事?

11 信教の自由って、どういうもの?

12 ほんとに守られてますか?学問の自由

13 昔はあたりまえじゃなかった婚姻の自由

14 生存権・・・教えて、僕らの生きる権利

15 一人の個人として育つために~学習権

16 職業選択の自由とは?

17 働く人の権利

18 財産権という人権

19 「平等」って、なに?

20 適正手続~刑事裁判と人権

21 憲法の条文に書いてない人権は認められないの?

22 国会とは?

24 内閣とは?

25 裁判所とは?

26 地方自治って、なんだろう?

27 憲法改正の手続のこと

28 最後に繰り返そう!「憲法」が大切な理由(最終回)

 

 

今回は、第16話。職業の自由とは?

です( ・ω・)

 

まずは、日本国憲法の条文を見てみましょう。

 

憲法22条1項

何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

 

憲法22条1項は、居住・移転の自由と並んで職業選択の自由を保障しています。

職業選択の自由は、自己の従事する職業を決定する自由を意味します。

職業を自分で選ぶことができるという自由で、給料をもらう職業だけではなく、

自分で事業をする営業の自由も含まれます。

 

封建社会では、どこに居住するか、どんな職業につくかは生まれた地域や階層などによって固定されていました。

農民に生まれれば農民、商人に生まれれば商人、武士に生まれれば武士でした。

能力や適性に関係なく生まれで職業が固定されていました。

近代社会が成立した際、従来の身分制秩序が解体されたことで、

それまで各自が所属する身分・団体によって異なる特権と地位を有していた人々は、

平等な権利を享有する人一般となり、職業についても、

従来のさまざまな職能団体の独占や規制から解放されて、職業を選択する自由を獲得したと言われます。

 

「人権」としての職業選択の事由を考えた場合、

それが、たとえば親の稼業を継ぐという形で、特定の職業を国家によって強制されることは無いというのは当然です。

営業の自由を含む、職業選択の事由が保障される根拠としては、

それが個人の生き方の選択にかかわる側面を持つとともに、

自由な経済活動を保障することが社会全体の利益(公共の福祉)を促進するという理由が考えられます。

 

そして、職業選択の自由は現実には公共の福祉により諸々の規制を受ける人権でもあります。

その理由の一つは、職業は性質上、社会的相互関連性が大きいので、無制限な職業活動を許すと、

社会生活に不可欠な公共の安全と秩序の維持を脅かす事態が生じるおそれが大きいことによりますが、

それにとどまらず、現代社会の要請する社会国家の理念を実現するためには、

政策的な配慮(たとえば中小企業の保護)に基づいて、積極的な規制を加えることが必要とされる場合が少なくないからです。

 

規制の手段としては、

①届出制(理容業等)

②許可制(風俗営業、飲食業、貸金業等)

③資格制(医師、薬剤師、弁護士等)

④特許制(電気、ガス、鉄道、バス等の公益事業)などがあります。

民営化が進んできましたが、かつては

⑤国家独占制(旧郵便事業、旧たばこ専売制等)もありました。

 

職業選択の自由、営業の自由などの経済的自由についての規制は、

規制の目的に応じて、消極目的規制積極目的規制に区別されます。

 

消極目的規制(警察的規制)は、主として国民の生命および健康に対する危険を

防止もしくは除去ないし緩和するための規制で、

行政法にいう警察比例の原則(規制措置は社会公共に対する障害の大きさに比例したもので、

規制の目的を達成するために必要な最小限度にとどまらなければならないという原則)

に基づくものである必要があります。

各種の営業許可などがこれにあたります。

 

積極目的規制は、福祉国家の理念に基づいて、経済の調和のとれた発展を確保し、

とくに社会的・経済的弱者を保護するためになされる規制です。

社会・経済政策の一環として取られる規制ということになります。

 

経済的自由の規制に対する合憲性判定基準としては、

立法目的および立法目的達成手段の双方について、一般人を基準にして

合理性が認められるかどうかを審査する「合理性の基準」が用いられるとされています。

「合理性の基準」は、立法府の下した判断に合理性があるということを前提にしている

(合憲性推定の原則)ので、比較的ゆるやかな審査の基準だと言えます。

 

さらにこの「合理性の基準」も消極目的規制については、厳しめの「厳格な合理性の基準」が、

積極目的規制については、よりゆるやかな「明白の原則」が用いられるとされています。

 

簡単に言うなら、積極的な経済政策に基づく経済的自由の規制については、

「その規制が不合理であることが明白な場合に限って違憲」として、

立法府(国会)の広い裁量を認めているということになります。

 

まあ実際には、消極目的規制なのか、積極目的規制なのか、単純に言えないものもたくさんあり、

この目的二分論自体にも学説上は批判があるところではありますが( ・ω・)

 

 

憲法論を離れて、現実問題として職業選択の自由といっても、

我々弁護士や医師のように資格が無いとできない職業はたくさんあります。

たとえば、法律を知らなくて法解釈を無視して独自の見解をまくしたてるだけの人に裁判を任せたり、

医学を知らない人に自分の健康や命を預けることって、できませんよね?

資格制というのは、その資格を持っていることで最低限、弁護士なら弁護士、医師なら医師としての専門性を

持った人しかその職業についていないという保障になります。

だから、弁護士に相談に行ったり、病院に行くということが安心してできるわけです。

宅建の資格取得に必要な知識も無い人が不動産の仲介をして、

家を買ったけど必要な手続きがまったくできませんだと困りますよね?

司法書士の資格取得に必要な知識も無い人が登記手続を代行するといって、

費用を払ったのに、登記ができませんだと困りますよね?

結局は、職業選択の自由といってもやりたいから今日からやれますではなくて、

その職業を目指して資格なり資金なりがあれば、その職業につける、営業ができる。

生まれによっては、その職業を目指すことを妨げられない、ということなのかも知れません。

 

なので、個人的には、職業選択の自由というのは、

社会システム(それは法により整備される)があって、

その上で自由に活動していけるように、

十分な選択肢が選べるということなのかなと思います。

 

まとめます( ・ω・)

職業選択の自由が保障されている現代日本では、

生まれによってではなく、自分の努力で職業を選ぶことができる。

 

読んでくださり、ありがとうございました。