こんにちは。

アレテーを求めて~

今日もトコトコ( ・ω・)

弁護士の岡本卓大です。

 

11月19日放送の大河ドラマ「どうする家康」。

井伊直政、榊原康政、本多忠勝・・・次々に逝きましたね・・・

秀頼の背の高さを刻む柱を通して、年代を重ねていく、うまい演出だったと思います。

 

 

大河ドラマを見てない人は、

再放送か、NHKプラスで視聴してみてください。

(※ 大河ドラマ「どうする家康」の著作権は、NHKに属します。

また浜松市の公式キャラクター「出世大名家康くん」と本作の

家康くんは、縁もゆかりもありません。

なお、本作の著作権は、作者に属します( ・ω・))

 

では、週一連載。

「大河小説」進め家康くん( ・ω・)

はじまり、はじまり~

 

 

家康は大阪城で、関ヶ原の先勝報告を行う。

茶々から秀頼と孫娘・千姫の婚約を約束させられ、不満を隠せない。

時は流れ、征夷大将軍となり江戸に幕府を開いた家康。

ウィリアム・アダムスらと国づくりに励むが、秀忠の頼りなさが不安の種。

そんな中、忠勝が老齢を理由に隠居を申し出る。

一方、大坂では大野治長が茶々の下に戻り、反撃の機会をうかがっていた。

 

 

家康くん「直政、そして、康政に忠勝・・・

みな、次々に逝ってしもうたな( ・ω・)」

 

阿茶「殿のお話相手ができる者も、残り少なくなってしまいましたね。」

 

家康くん「思えば、ずっと忠次とわしのかけ合いでこの連載をしておった。

その忠次が隠居、その後逝き、直政、康政、忠勝も・・・

これで徳川四天王は、誰もいなくなってしまったのう・・・」

 

 

 

 

 

阿茶「人は老いていく・・・そればかりはやむを得ぬかと・・・」

 

家康くん「しかし、関ヶ原、征夷大将軍就任から大坂の陣直前まで、

秀頼の背丈と合わせて一気に時代が進んだのう( ・ω・)」

 

阿茶「茶々殿は、やはり怖い人ですね。妹のお江様も怖がっていたようです・・・」

 

家康くん「わしの孫、秀忠の娘の千姫を秀頼に嫁がせた。

これで平和に天下に治まればよかったのだが、そうもいかない空気じゃな( ・ω・)」

 

 

阿茶「秀頼殿は、豊臣家中を再びまとめ上げるだけの器量がある人物だったのでしょう。

もしも、秀頼殿が無能で器量に劣る人物であったなら、あるいは豊臣家は、

一大名として残ったのかも知れませんね。」

 

家康くん「わしは、存命中に秀忠に将軍職を譲った。

まあ、その後も、駿府で実権は握っておるわけだが、

征夷大将軍はわし一代ではなく、秀忠、その後も徳川が継いでいくということを示したのだ( ・ω・)」

 

阿茶「後継者を巡る家中の争いは、大河ドラマでは省略されていましたね。

なぜ、秀忠様を二代目に選ばれたのですか?」

 

 

 

 

家康くん「実際の所は、母親が於愛だったというのは大きいのじゃろな。

だが、泰平の世の将軍として考えた場合、秀忠が一番優れておったろう。

戦場で戦う武人としてなら、秀康や忠吉の方が優れていたのかも知れんが、

天下を治めるには、秀忠が最も適していたのさ。

ところで、阿茶よ。

そもそも征夷大将軍とは何か、知っておるかな( ・ω・)?」

 

阿茶「源頼朝公以来の、武家の棟梁のことではないのしょうか?」

 

家康くん「征夷大将軍というのは、もともとは、東北の蝦夷(えみし)を

討つための大将軍で、朝廷の律令制度外に作られた令外の官の一つだ。

三位以上の公卿にも補任されているから武人の最高栄誉職として公権力を行使することも

認められていた。」

 

阿茶「東北の蝦夷を討つための大将軍が、どうして武家の棟梁ということになったのですか?」

 

家康くん「一言で言えば、武家の棟梁となった源頼朝が征夷大将軍になったからだろうね。

もともと、頼朝は、『大将軍』になることを望んでいて、『征夷』大将軍でなくても良かったんだよ。

ただ、いくつかある『大将軍』の中で、名将・坂上田村麻呂が任じられていた実績のある

『征夷大将軍』が選ばれた。

そして、頼朝が征夷大将軍として鎌倉幕府を開いて以来、

征夷大将軍は、幕府を開く武家の棟梁のつく職ということになったわけだ( ・ω・)」

 

阿茶「坂上田村麻呂が征夷大将軍となったのは、797年。桓武天皇の時代。

平安京遷都が794年なので、まさに平安時代最初期のことですね。」

 

家康くん「桓武天皇という方は、日本の歴代天皇としては珍しく、

中国風の皇帝のようなふるまいをされる方だったようだね。

空海や最澄は桓武帝の頃に遣唐使として唐に派遣され、

坂上田村麻呂は、奥州の蝦夷を討伐した。日本史の中でも、

天皇が名目でなく絶対的権力を自ら振るった数少ない時代だろうね( ・ω・)」

 

阿茶「征夷大将軍だった坂上田村麻呂は『幕府』は開いたのですか?」

 

家康くん「もともと、『幕府』という言葉は、中国の戦国時代に、

出兵中の将軍が張った陣地のことを言うんだ。

それが、将軍の支配権の及ぶ勢力のことになり、源頼朝が鎌倉幕府を開いたことで、

朝廷とは別の武家政権を表す言葉になっていった。

坂上田村麻呂も総司令部的な意味での幕府は開いていただろうけど、

あくまでも桓武天皇から派遣された大将軍であって、頼朝のような幕府を開くことはなかった。

まあ、鎌倉幕府が政権を持てたのは、頼朝が征夷大将軍に任じられたことよりも、

守護・地頭を任命する権限を朝廷に認めされたからだろうね。

足利幕府、徳川幕府になると、もうすでに頼朝によって作られた幕府のイメージがあるから、

当然のように、武家の棟梁として最高権力者になったわけだが( ・ω・)」

 

阿茶「なるほど。ところで、豊臣陣営に大野治長が戻って参りましたね。」

 

 

家康くん「真田信繁(幸村)もおるなぁ。

最後の戦いが近づいてきておるな( ・ω・)」

 

 

阿茶「最後の大戦。勝てますか?」

 

家康くん「勝つさ。なんせ、本多忠勝の肖像画が

後ろから睨みつけてくれてるからね( ・ω・)」

 

 

家康くんを支えてきた多くの家臣たちもほとんどが黄泉の国へ旅立った。

成長する豊臣秀頼。そして乱を求める浪人たち。

大河ドラマの残り話数もあと僅か。

最後の最後まで、駆け抜けよ!

進め!家康くん!