こんにちは。

アレテーを求めて~

今日もトコトコ( ・ω・)

弁護士の岡本卓大です。

 

単なる独り言です。

小学生の頃はあまり興味がありませんでしたが、

中学2年生あたりの頃から、「知力」というもの

を高めたいと考えるようになりました。

でも、「知力」って、なに?

と考えてみると、いまいちよくわかりません。

 

中高生や大学受験生の頃は、単純に

偏差値が高いことが=知力が高い

なのかなと思ってました。

 

たしかに勉強すれば誰でもトップレベルの成績になれるということはなく、

現実に、偏差値が高く出る点数が取れることと、「知力」にまったく

相関関係が無いとは言えないとは思います。

 

ただ、それは、「知能」の高さかも知れませんが、

「知力」の高さとは、違うようにも思います。

(端的に学習方法だったり、練習量が大きい面もあると思います。)

 

効率よくテストで点数を取るのは得意でも、

何も理解していないなというような人は、

世の中にはたくさんいるのを

実際に見てきているので・・・

 

「知識の量」とも明らかに違います。

「知識の使い方」・・・これは知力というより「技能」、「スキル」かも知れません。

 

「知力」って、なんだろう?

実は、私は、正解を知りません(^^;)

正解を知らないけれど、「知力」のある人と「知力」の無い人が

いることは、感覚的にはわかります。

 

プラトンが理想としたのは、アレテーの高い哲人たちによる政治だったようです。

そのアレテーが知力だという回答をもし、ソクラテスの前でしたとしたら、

間違いなく、それではアレテーとは?知力とは?と問答をされることになるでしょう。

「無知の知」・・・あまりにも奥が深い・・・

 

 

フランスの哲学者デカルトは、「方法序説」の中で、

「我思うゆえに我あり」という言葉を残しましたが、デカルト自身は、

自分で思考し理解したことしか信じないとしながら、

他方で、自分が十分に検討できていない問題については、

一般にその分野で研究してきたとされる内容に従うのが良いと

言います。

 

「思考し、理解する」前提には、やはり「知識」があるということになりそうです。

デカルトもカントも哲学者ですが、数学は好きだったようです。

物を考える人にとっては、数学って、筋道どおりに進めれば正解にたどり着ける

明確で面白い学問ですからね( ・ω・)

 

戦後日本の民法学の大家である我妻栄先生は、

民法入門という民法初学者向けの本の中で、

次のような言葉を残しています。

 

「法律家に天才はいない。」

 

おそらく、我妻先生は、一般的な日本人が見れば、

「天才」と思うような超超超秀才です。

我妻先生の民法入門での記載によると、

(私が読んだのは、もう25,6年前だと思うので正確ではありませんが。)

 

法律家に求められる能力は、数学者のような天才的な閃きではなく、

誰もが理解できるような常識に基づく思考・判断だというようなことを

書いてあったと思います。

 

誰も思いつかないことを考えつく天才的な人よりも、

地道に勉強、経験を積み重ねて、社会の多くの人が理解できる

ようなすっきりした論理力が法律家には大切なのだと、

私は理解しています。

 

なので、法律家を目指す人には、

天才でなくてよいので、地道に勉強を積み重ねてほしいと

思いますし、

いろんな可能性のある子どもたちには、

自分の可能性を広げるために、いろいろ興味を持って

学習してほしいなと思います。

 

「知力」って、なんなんだろう?

あなたは、どう思いますか( ・ω・)?

 

独り言といいながら、問いかけて終わる(笑)

読んでくださり、ありがとうございました。