ここ一週間ほど、

少し身体の調子良くなさげで、

歩くのもほんの少しだけどかすかにチョットツラい。


こんなだから癒されたい!と思って、

ピアノ曲で一番好きな

『ショパン ノクターン作品9-2』

をここ最近よく聴いてる。


中でもこの演奏と録音がとても気にな入ってます。


でも、そのなんというか、むかし風な感じが、

高校生の時を思い出をよみがえらせた。


当時の私は、

平日は部活で帰るのが夜遅く、

土日は夕方には帰れたから、

いつもとは違う道を通って帰ることにしてた。

で、ある日とある骨董品店を見つけた。 


西洋風の骨董品専門店だった気がするけど、

高級品ばかりあったこと以外あまり覚えていない。


ただ、一台の古いピアノがあって、
(たしかアップライトだったような)

それが自動演奏するピアノだった。

もちろん電子ピアノでなく、

大きくて凸凹のあるロール紙みたいなのを、

どこかに差し込んだら自動に曲が流れる感じだった。
(あいまいすぎる記憶でごめんなさい)


お店の人が「何か聴きたい曲ありますか?」

と尋ねてくれたので、

当時ピアノで一番好きだった

ショパンのノクターン作品9ー2

をリクエストした。


初めは自動演奏に驚いてピアノに見入ってたけど、

「この曲を間近で生のピアノで聴くの初めてだ」

と気付いて、目を閉じて聴き入った。


演奏が終わって、

お礼だけを言って帰ろうとすると、
(とてもじゃないけど高校生に買える値段じゃない)

お店の人が、

「いつでも、聴くだけでもいいのでまた来て下さい」

とやさしく言ってくれた。


けど、その後は一度も行かなかった。

買うわけでもないのに行くのが申し訳なくて。


で、さっきまたYouTubeでノクターンを聴いてたら、

ジブリ映画『耳をすませば』の『地球屋』のシーンを

急に思い出した。





その骨董品店内もこんな雰囲気だった。
(地球屋店内↓)



早速、家にあったDVDをもう一度観てみた。

もともとこの映画の印象は、

「まぁいい話だけど、しょせん恋愛モノかぁ。

 恋愛には興味ないし、

 『地球屋』のシーン以外はよく覚えてないな。

  それに、『カントリーロード』は、

やっぱり原曲のジョン・デンバーのが好きだし。

 でも、『地球屋』でのバイオリン伴奏のメロディ

 と、主人公の歌声と歌い方は好きだな、
  
 ぐらいの感想しかなかった。
(本当に大変失礼で本当にごめんなさい)

こことてもいいシーンだなぁ↓


でも、

今回観たら、全然違ってた。

もしかすると、私自身の何かが変化してたのかも。
よくわからないけど。

とにかく、すごくいい映画だった!ものすごく。

青春ならではの、切なさ、悩み、不安、希望が、

とても伝わってきた。

生活感とか会話とかリアルで日常的だし。



恋愛の話を除けば、

確かに私も、こんな感じだったなぁって。

ある意味では、今でもあの頃の感覚があるかも。


映画の中で宝石の原石の話があって、

磨いてあげないと結果はわからない的な感じだったような。

私は才能とかは本当に全くなかったけど、

音楽とか絵とかが大好きだったから、

その大好きだったこと続けてれば、

キラっと輝くことはなくても、

それなりに楽しめたんだろうな。きっと。


ちなみに、今は全く演奏とか絵を描くことはできない。

楽器とかもまだ持ってるのに、残念なことだコト。
(プロフィール写真がそうです。)

どんなカタチにせよ、続けるって大事だな。

そしてその前に、これをやりたいからやる!と決めること。

周りの目とか環境や状況は気にしないで。なるべく。
(私は気にするたぶんすごく)


それから、

この主人公は骨董品店や図書館など、

自分の好きな憩いの場所、

心のよりどころみたいな場所を持っていて、

そこによく通っていた。


映画を観ながら思い出したんだけど、

私も高校生の時は、

そういう場所があった。

それは、

小さな楽器屋さんと、家の近くの教会の二つ。


楽器屋さんは、

めったに買い物はしなかったのに、

いつ立ち寄っても、

紅茶やお菓子(クッキーやチョコなど)を出してくれて、すごく歓迎してくれた。

楽器や楽譜をすごく自由に触らせてくれて。


教会は、

私はキリスト教徒とかではなかったけど、

そういう場所がとても好きだった。

ある日、おそるおそる入ってみると、

神父さんが出迎えてくれた。

その教会の神父さんは外国人だった。

そして、信者ではないけど中を見たいと伝えたら、

とても快く教会の中を案内してくれた。

礼拝堂に入ると、ハモンドオルガンがあった。
(エレクトーンに似てる楽器)

小学生の頃、エレクトーンを少しやっていたので、

弾いみていいですか?と質問すると、快く了承してくれた。

たとえ下手で人に聴かせられないレベルでも、

ハモンドオルガンを弾いている時はとても楽しかった。

しかも、

礼拝がない時は、いつでも自由に使っていいとも言ってくれた。

それからは、頻繁に弾かせてもらいに通ってた。

弾いている時、お祈りとかで誰か入って来たら、

すぐ演奏をやめて急いで帰ってた。でも楽しかった。


で、結局、

教会は神父さんが家の都合で母国に帰ることになって

私も行かなくなった。

楽器屋さんは、

大学進学して、通学の方向が変わったこともあって、

気付いたら、いつの間にか行かなくなったてた。

楽器もやめてたし。


教会の神父さんは帰国する時にお見送りもできず、

お別れの挨拶もできなかった。


空港に出発する直前に、

私の実家にわざわざ寄ってくれたのに、

何かの用事で不在してた。とても後悔した。


楽器屋さんには、

大学生になってしばらくしてから行ってみたけど、

もうそこには無かった。閉店か移転かも不明のまま。


好きな場所がなくなったことよりも、

きちんとお礼を言うことが出来なかったこと。

それがとても後悔だった。あんなにお世話になって、

とても楽しい時間を過ごさせて頂いたのに。

今でも心残り大。



まぁそんな思い出なんかはともかく、

癒しを求めて聴いた『ショパンのノクターン』から、

『耳をすませば』と『過去の思い出』につながって、


好きなことを自分のやり方でいいから大事にしたい、

好きなモノを自分流で好きでいていいんだ、

という気持ちになれたことは、

なんだか、

ワクワク感があるし、よかった気がしてる。


いま『耳をすませば』を思い出すと、

なんだろう、なんかとても切なくなる。

行きたいのに行けない、

戻りたいのにもう二度と戻れない。

そんな気持ちになる。