3.11 を忘れない





 

 改めて忘れないことが私のできること



  
当時何をしてたか?



たまたま、同期で有給をとり韓国旅行に行っていました。そのため地震はTwitterを通じて知ることになります。






韓国におそらく着いたタイミングで
地震が発生します。
当時韓国のニュースで知ることになるので正確な情報が分からずTwitterでつぶやいていました。


当時、曽山さんかおそらくTwitterで発信してくださったので私も会社のメンバーがマークシティから避難していることを把握することができました。


ただここで家族と連絡が途絶えてしまい、
韓国から国際電話を何度もかけてもつながらず
不安になってしまいました。
(そのあと連絡取れてホッとしました。)

韓国旅行も観光スポットは全てキャンセルし、
ニュースばかりみていました。

唯一行けたスポットは韓国料理店。
お客さんたちに励まされたり、
店員さんにサービスをしてもらったり、心配してくださったり、元気をもらうことができました。
優しかった。、

すぐに帰りたかったけど土曜日は全て欠航。
日曜日、無事に東京に戻ってきました。


当時住んでいた目黒駅は電気がついてない箇所が多く、異質な風景であったことを思い返します。



家族とメンションしてますね。
連絡はTwitterでした。

そして、社長から働き方については
各々判断していいと連絡をもらったので
ここから1週間リモート生活を送りました。


当時広告営業だったので
数々の案件のリスケ、キャンセル処理を
この1週間で行っていました。

何もできない自分が歯痒かった。
でも目の前の仕事しかできることがないと思っていました。
(今考えればできることいっぱいあったのに)


この時から対策本部を作って発信いただいてた曽山さん。感謝しかありません。
社員の不安を和らいでもらった記憶があります。


  
不安しかなかった1週間



私は仙台に住んでいたことがあります。
記憶にある街がこの瞬間大きく変わってしまった。

この事実を受け止めるのにすごく時間が必要でした。

周りにも複数連絡がとれない家族がいました。


また、
トイレットペーパーがないだの、不確実な情報が行き交い、冷静に物事の判断がとれなかったことを思い出します。


とにかく不安しかなかった。
これからどうなるんだろうがずっと続いていました。


  
これからできること



当たり前だけど、いつ何時に何があるか分からない。
でも、冷静に判断できるよう準備するしかない。

そしてこの事を風化させないために忘れないことが大事なことだと思います。