
1991年9月8日。SMAPは西武園ゆうえんちにてデビューイベントを行った。その時は台風が接近していて大雨。これからのSMAPの道も”土砂降り”だった。9月9日にCDデビュー。

1位を取ることができなかった。なぜならこの年になって音楽番組がいっきに減少。デビュー曲を宣伝する場がなくなったのである。「子供ながらに1位を獲れなかったというのは、ショックというのはあったと思いますね。自分で感じることはなかったけど、”なんで1位じゃないんだ”と言われたと思いますね。会社の方とかに。やっぱり異例の事なのかなぁと思うし。」と香取。「事務所の方に、ジャニーさんに”YOU達は寝ないでがんばらないとダメだ”って言われて。1枚シングル出して、終わりっていうわけにはいかないので、やっぱ2枚、3枚、4枚、5枚って出していくと、やっぱりだんだん深刻になってって。ずっと1番取れなかったんで。茂垣ながら頑張ってましたね。」と草彅が語った。SMAPは音楽ではいけない。コントでやっていくことになったのである。「夢がMORI MORI」でSMAPはコントに挑戦した。”音松くん”としてのコントが話題になった。それからヒット曲を生み出した。知名度を獲得していく。これからどんどん人気なるはずだった。
1996年、メンバーの森且行さんが脱退を表明した。子供からの夢のオートレーサーになるため脱退をしたのだ。SMAPの中ではなくてはならない存在。中居の話だと「最後は森くんのお家に行って、みんなで森くんの髪の毛を刈って。『もう長い髪いらないから』って言って。やっぱり悲しかったですね。今だからですけど、今でも帰って来ないかなあって思いますね。」語った。森がいなくなって不安だった。SMAPがどうなるのか。”新しいSMAPを作ろう”木村は「彼に気持ちを寄せていたファンはいたから、その人たちに納得いかないようなグループになっちゃいけないと思った。」中居は「矛盾する気持ちになるかもしれないが、森君がいなくなった途端にSMAPがよくなったって思えるグループにしなければならないんじゃないかなあと思いますね。」と語った。
香取はSMAPの重圧に苦しんだ。「受けとめられませんでしたね。いろんなことを考えてしまったりとか。走り続けるっていうのは間違ってはないと思うんだけど、じゃあ”何のために走ってるんだろう”とか、”走るの辛いんだけど走らないといけない”とか。分かんないことだらけでしたね。それに戸惑って。走ってるんだけど、”その先に何があるんだろう”とか、”ここまで行ったらゴールです。”っていう明確のものがないのに、”走れー!”っていう気分ですね。」
稲垣が2001年に道路交通法違反などで逮捕、半年間の謹慎をした。

稲垣は「その半年間って芸能間で生活しているときの3年間分くらいに感じましたよ。ホントに申し訳ないという気持ちでいっぱいあったし、焦りもあったけれども、でもそれ以上の…離れていって、客観的に見て、自分が普通の無の人間になっていくのがすごく感じられましたね。戻った時にどう表現していいか分からなくて、迷いました。得たものも大きいし、こういうことがないと感じられないんだなあと思いました。SMAPの大きなニュースはとか聞かれた時に森くんのこととかデビューとか言いますけど、本当はこのことですね。」稲垣逮捕の翌日コンサートだった。「なったことはしょうがないですから。名古屋でコンサートだったので、5人でやるのか、4人でやるのか、中止にするのかだけマネージャンさんに言って。何やってんだよっていうのはないですし。森くんのときに何か得たんだと思いますね。4人でやるのが夜11時に決まって、公正を書いて4人バージョンで、稲垣くんのソロ曲だけカットしました。4人になってもっとよかったねっていうのはなかったですね。」と中居が語った。「SMAPの中で大きなことでしたね。これによって止まっちゃうっていうことは正直感じてはなかったかもしれない、感じてたら止まってたかもしれないですね。よくやりましたね。」と香取。
2009年は酒に酔って逮捕される事件を起こした草彅。「僕も迷惑をかけてしまって、一月謹慎してグループの大切さとか、メンバーの存在の大きさだとか、応援してくれるファンの方々とか、すごく考えた1か月間でしたね。初めて仕事をしてて、そんなに休む期間もなかったので、いろんなことを考えましたね。すぐ1日過ぎちゃうので、早くSMAP戻りたいなって思ったりとか、ファンの方とか沢山手紙をくださって読んだりとか、本いただいたりとか、高倉健さんもお手紙を貰いまして、ほかの方々もたくさんお手紙をくださって、自分の責任だとか、SMAPに対しての気持ちとか、重みとか思ったつもりなんですけど、大切だと思いましたね。」と草彅が語った。

香取は「草彅の話を聞いたときはショックはショックでしたね。年がいちばん近くて、普段から一緒に遊んでて。お酒を二人で飲んでワイワイしてるときとかよくあったので。その時も連絡があってすぐに集まって今後の対応をみんなで、番組なり歌だったりどうしていこうかというのが早く周りのスタッフに。その日僕が、一緒にいればよかったなあって思いましたね。ほかのメンバーと比べたら、家とか行って一緒に朝までビール飲んだりしてたこともあったんで、もし一緒にいたらこういうことにならなかったんだろうって思ったりはしましたね。」
たくさんのものを背負い、がむしゃらに走り続けてきた。「エンターテインメントに僕らSMAPに何ができるんだろうって言っても、とても微力といえば微力なんですよ。何もできないんです。だけど、今までやってきた中で僕らの事を知っていていつも笑顔で元気でいるSMAPを知ってる人たちが、いてくれるんですね。この人たちと会えたら辛く苦しい状態の人達も一緒に笑顔になれると。この一瞬の笑顔の為に、僕ら20年やってきたんだなぁって。初めて思ってました。」と香取。草彅は「エンターテイメントの世界ってやっぱり楽しかったり、会場に来てくれた人、お客さんがなんか幸せを持ち帰ってもらいたいなっていうものがあって、そのためにはどうしたらいいのかなぁというのが僕らがずっと考えてたものなんで、今日より明日、明日より明後日、どんどんやっぱりよくなっていきたいというのが僕らのエンターテインメントなのかなぁと。それが挑戦なのかなと思います。」「楽なのはって考えると、個人活動が充実してるならば、個人活動をしてって、自分のペースでっていうふうになるとは思うんだけど、楽しようと、思ってないんじゃないんですか、SMAP。そうだったらSMAPじゃないと思いますし。」と木村が語った。
2011年、デビュー20周年を迎えた。今年は震災があって下向きの気持ちが多かった。だが、SMAPも被災地を訪れ、元気を与えた。SMAP初の北京公演も開催され、日本と中国の文化の違いに苦しんだSMAP。だが、直し直しで修正をし本番に臨んだ。突然の雨でいろんな修正があったが、大成功でライブを収めた。2012年への走りだすSMAP。2012年はどんな活躍を見せるのか。SMAPは止まることはない。