いじめについて衝撃的なニュースがありましたよね。
『自殺の練習をさせていた』とか、
『先生が見てみぬ振りをしていた』とか
こういうことが二度とおこって欲しくないと願うばかりです
しかし、現実にはこういう事件常に起こっています
そしてこれは今に始まったことではなく私が小さいときにもありましたし、また大人の世界でも妬みや仲間はずれといった形で頻繁に起こっています
もっと昔は外人だとか双子だとか身分が低いだなどといった理不尽な理由でいじめや差別があったと聞きます。
これは江戸時代でも平安時代でもあり、たぶん太古の時代からあったのでしょう。
では、いじめや差別はなぜなくならないのでしょうか。
それは人間の根本的な感情から起因しているからではないかと思います。
人間誰しも、他の人と比べていい思いをしたい、いい生活がしたいという欲求があります。
だからこそ勉強でも仕事でも頑張るわけです。
実際皆が等しく暮らすことを目指し社会主義国家を作った時代がありましたがもろくも崩れてしまいました。
結局みな働かなくなったからです。
この欲求は非常に大事なもので、だからこそ人類は発達してきたわけです。
しかし、同時にこの欲求が負の方向に働くことも仕方のないことです。
『なんとか人を貶めて自分と差別化しよう』とか
『人の不幸見たら楽しい』とか。
皆心の中で必ず持っている感情です。
大人はある程度理性で制御することが出来ますが、まだ未発達の子供には難しい事が多々あり、時にいじめにつながってしまいます。
つまり、いじめというのはいじめっ子にだけ備わっているものではなく、誰にも芽生えかねない感情だと私は思っています。
テレビを見ていると
『いじめが悪いことをきちんと教育する必要がある』とか、
『一人ひとりの心のケアが大事』とか相変わらず同じことを言っていますがそれで解決するならいままでにいじめはなくなったいるはずです。
いじめが悪いことなんて誰だって分かっているし理解しています。
いじめが正しいと思っていじめをしているいじめっ子はいません。
でも、それでもいじめはあるのです
そろそろ性善説に基づいたきれいごとだけはなく、いじめはおこるものとして、誰でも持っている感情であると理解して対策を立てることを考えていくべきかと思います。
例えば、転校の自由を認めることです。
転校するなんて現実から逃げることで、そんな奴はどうせまた転校先でもいじめられるに決まっているというのが今での考え方です。
しかし被害者がそんなことを言われるいわれはありません。
いじめをなくすことが出来ないという前提で、もしいじめがあって防ぎきれなかった場合、転校するもしくはしばらく学校に行かないという対策を立ててもいい世の中にすべきです。
他にも賛否両論あるかと思いますが、いじめに対して警察が介入できるようにするとか、DVと同じように引き話すことが出来るようにするという対策も真剣に考えるべきです。
でないと悲劇が起こっても何も解決することなく次の悲劇が起こるまでに忘れ去られてしまう、ということが繰り返されていきます。