マイセンカフェがとても落ち着くと好評ですね。
この有り難く受け取る、に変えてから、私はいつも受け取りっぱなしなんです
ザ・マジックを書く時に、昨日の私が有り難く受け取ったものはなんだろう?
そう思い出すと、電車が定刻通りに着いたことも、
タクシーの運転手さんの運転も、
今お店で飲んでる紅茶も、
全部私の知らない人の手を通って成し遂げられたことばかり。
私も家族も生きていることも奇跡だし。
それを経験できている、これは奇跡の連続だと思うのです
天災でマヒした時だけ、いろんなモノのありがたみに気づいて、
喉元過ぎればは、ちょっと違うと思う。
それはこれまで憧れとか理想だと思っていたモノと出会った時にも同じで、
憧れだからもっと感じないと、味わないと、と思うのも違う。
もうそれ思考になっている。
この間の東京でのホテルもとても過ごしやすかったのですが、
静かに受け取ったことの多いこと。
すべて有り難く受け取りながら過ごしていく、
過ごしているのが当たり前だし(=有り難く受取り続けているし)
私の日常になっている。
さきこさんも
日常=有り難い とされていて、
だからあんなにフラットになんの演出感もなく、
感謝が伝えられるし、すごく自然なままで存在感が際立つのかなと私は感じてます。
日常のとらえ方が変わる瞬間、
変わるきっかけについて
この経緯がはるかさんの「日常」の設定変更から出てきます。
(引用開始)
「あ、私もそれ聞いたことある気がする!」
って思った。
「当たり前」の対義語は「有り難い」
そして、Facebookのコメント欄でのまる海さんとさきこさんの会話で
一気に色んなことが繋がりました。
さきこさんが、まる海さんの記事のシェアへのコメントに
こんな言葉を書かれていて。
私は「日常的」に使ってますけど
「当たり前」ではないんです〜。
日常=有り難い、なので♡
そして、それに対するまる海さんの返信の一部に
私はやっぱり「日常=当たり前」だったんだなぁと思いました。
当たり前とは“感じないこと”でもありました。
と。
このさきこさんとまる海さんのやり取りを読んでいて
「ああ、そうか〜〜〜!!!」
となりました。
「日常」の設定だったんだ。
私の日常の設定も
「日常=当たり前」でした。
そして、まる海さんと同じで
「当たり前=感じないこと」でした。
だから、色んなことを当たり前にしないために
感情の大きな波がほしかった。
ドキドキ・ハラハラしていたかった。
(この場合「感じる」の設定自体がおかしいけど
これは「動揺」ですね。。。)
だけど、ドキドキ・ハラハラを求めている限り
いつまでも「日常」にはならない。
っていうよりも「日常」にはしたくない。
(引用終了)
全文はこちら
設定変更ノートカフェ
*12月 8日(土曜)残席1名様
*12月11日(火曜)満席
*12月13日(木曜)満席
場所 8日は心斎橋駅近くです
参加費 3,000円(税込)
飲食費は各自ご負担下さい♡
ノートの書き方の確認や質問、
ザ・マジック続ける工夫など。