お疲れ様です。


今日!


三琴さんと


母さんに



セッションをしていただきました!


セッションって何ぞや?

というくらい、初めてだったのですが、

(そもそもzoomも初めてで。オンラインで繋がるのも初めて。)


ふだん、大人の人とざっくばらんにお話しできる機会が全くない私だったので、ただただ、お話しできる機会を楽しみにしていました。

母さんとも、LINEはしたことあったけど、生トークは初めてラブラブ


ほんとーに感謝で。

今、次から次へと色々思うことがあって。


感謝を伝えるのとは違う感じになっちゃうかもですが、書いてみます↓


おふたりは、たくさんお話聞いてくださって。

じゃぁ、これも聞いてもらいたい!と、欲張ってたくさんお話しました。

ふだん、身近なママ友には話さないような話も、きっと聞いてくれる!


おふたりは、どんな話をしても大丈夫、驚かないし、イヤな気持ちで受け止めないし、何も怖がることはない。



それなのに、「ウッ」と言葉が出てこない。


これを、2回ほどやった。


私自身が、言葉に出すことを恐れている。怖くてしゃべれない。

私の気持ちなんかを、言ってはいけない。




そこを、「なんで(ひるむのか)。大丈夫。」と、えいや、と話させてもらった。(というのが90分中、2回あった)



「ママ友との楽しみなランチ」には、約束した時にはただただ楽しみで。行く週になってからは、憂うつになってしまう自分にのたうち回って。(ランチ自体は楽しく過ごして)終わって家に帰ったら、話し疲れたことで、ガンガン頭痛で寝込んで。



というのとはまっっったく違って、終わったら、


スッキリ〜


楽しかった〜


憑き物落ちちゃった〜


軽〜い


でした。



ホント、自分の中で口に出せずにいたことまであんなに喋り倒したのに、疲れなかったんだよ!これってすごい。



受け止め力が、半端なくすごいんだと思う。

お二人に感謝。




話したこととはちょっと違うけど。



終わった後、トイレ掃除をしながら思ったことがいくつもあって。


これは、お話した話ではないんだけど、



子どもの頃から、時間が戻って、人生をやり直せるとしたら、ということを寝る前に毎日考えて眠っていた。

小学生や中学生や高校生だったけど、まず、幼稚園の年長では、必ず、妹を死なせない。


私の人生は、そこをやり直せない限り、正しくは進めない。


人生をやり直す設計をあれこれ練っているうちに、心は安らぐ。


そして、やっと、眠れる。


その癖が不思議だったけど(逆に、今が思い通りになっていないことに落ち込みそうなのに、と。)



なんとなく、その癖は、全然不思議なことじゃなかったんだな、と思えた。


ここではないどこか、が、ずっと染み付いて渦巻いていた私にとっては、それもふつうか、と。



そんな風にして眠るから、妹が実は生きている、という夢も見た。


自分に子どもが生まれる夢も。


妹でも、ちがう兄弟でも、子どもでも良かったんだ。


私は、寂しかったんだ。



自分の気持ちを口にするのが苦手な私。


「ウッ」となるのを飲み込み、言ったことがある。


「きょうだいがいなくて、さみしかった」


と。


それは、いくつの時だったかわからない。


もう、高校生くらい大きかったかもしれないけど、私の心は小学生中学年くらいの幼さだった。



それを聞いた母は、バッサリ言ったんだよね。


「さみしい思いをさせたおぼえはない!」


って。


「さみしい」と言ったのは私なのに、私にその気持ちを抱くことを許さないんだ。さみしいと思うことも、許さないんだ。


と、当時は言語化できなかったけど、言語化できないくらいにびっくりした。

びっくりしたし、とても傷ついた。傷ついたことにすら、気付かないくらい。


母にとって、私の「さみしい」は、責められたと思ったんだろうね。

それは、だいぶ後に思ったけど。

やっぱり言っちゃいけないことなんだなとは思った。この人とは、話せないとも思った。



10代の頃、私は要らないノートに、たくさん物語を書いていた。



物語といっても、きょうだいを亡くす主人公の話で、つまり、私の心を癒すための自浄作業だった。


書いたら、自分が癒されることを知っていた。


その中で、こう書いたのを覚えている。


「忘れるというのは、母親を許すこと。許したくないから、忘れたくない。許して忘れたら、母と同じことをしてしまう」



そんな内容。


それは、高校生の時。


私は今、43歳。


今、ずっと、毎日、1日に何度も、「母を許せない」と思っている。



長いなー。


最近になって、それがひどくなったきたから悩んでいたんだけど。



自分が、母親にされたことを、自分の子どもにはするまい、母にしてもらえなかったことで、私にできることは子どもにやってあげよう、と思えば思うほど、母に腹が立ってしょうがなかったということに、納得。


(具体的に言うと、私は母の作るお弁当が苦手すぎて、高校生の時にはお弁当ではなく菓子パンを持っていっていた。でも、私はこの4月に高校生になった娘に、毎日お弁当を作っている。母は、自分がお弁当を作らなかったことなんか全く覚えてない(と思う)。こういう、些細なことが、実は私を蝕んでるんだな)



なんか、色々つながって、おどろいた。


実は、人間の心なんて、そんなもんなのかも。



さて、私が許したくないがために手離さないでいたもの。


そして、それでガッツリ自分を苦しめていたもの。



手離すときなのかも汗




たくさんの気づきを、ありがとうございました。


追記

妹は病死で(インフルエンザ)

私が母を許せないのと、妹の死は、直接的な関係はありません。


私が察しすぎるガラスのハートで、母は察することを強要するデリカシーのない人間で、子ども側からすると相性最悪、親側からは、それほどでもなかったかもしれない、というのがまた許せないという話。




何でかわからないけど、終わった後、トイレ掃除をしながら、ふと、「江ノ島」のことを思い出しました。


江ノ島に、いつか、必ず行く楽しみができました。



いろいろ、気持ちが昂っておりますが。


ありがとうございました!!