沖縄から帰ってきた翌日、くしゃみと鼻水が止まらなくなった。
こころの奥底に沈んでいた、膿のようにドロドロした暗い影が、一気に湧き出したような感覚だ。
普段なら対して気にならないようなことも、気になって嫌な感じがなかなか拭えない。
最近はムカっとくることがあまりなかったが、そんなことくらいで、と思うことに腹が立った。
人といることがつらくなる。
前向きに物事が考えられなくなる。
我慢できなくなる。
投げやりになる。
筋肉が痛くて身体が重いので、「あれとって」、「それとって」と普段なら少しぐらいつらくても自分でやることを人に甘えてしまう。
今まで無理していたことが、ぜーんぶ嫌になって考えたくなくなってしまった。
このブログもそうだった。
毎日書くことを日課にしていたが、最近は浮かばなかったり、予定が詰まっていたりで、時々穴を空けてしまった。
本来、頭の中に残っていて書きたいから書いていたものなのに、義務になって苦しくなっていた。
書きながら寝落ちして、本当に自分の思いで書いたのかわからない締め方をしたりもしていた。
その努力というか苦しみが糧(かて)になるならいいのだが、悪いイメージしか残らなかったので、一旦手放すことにした。
「書きたくなるまで、書けるようになるまでほったらかしておこう」
4日ほど経ち、風邪が回復し始め、頭も回りはじめて、書きかけの文章も全体を理解できるようになってきた。
書いてみよう、という意欲も出てきた。
自然と手が動いて、今、この文章も苦しまずに書くことができている。
もちろん、回復のために色々と自分なりに手を尽くしたつもりだ。
自分の身体のことは自分で何とかしないと、誰かがなんとかしてくれるわけではない。
風邪とアレルギーによる鼻水で鼻と耳がふさがって、どうにもならなくなって医者にも行った。
副鼻腔炎(蓄膿症)になっていないかを確認するためだ。
検査の結果、幸いそこまで酷くなくて、吸引してもらって軽くなった。
ただ、処方された処方箋は薬局には持っていかず、そのまま家に帰った。
せっかく、身体が闘って出してくれているものを、薬で止めるなんてもったいない。
自分の免疫力に頼らず抗生物質を使うなんて、よほど命に関わる病でない限り、もってのほかだ。
あとは、自然のチカラを生かした療法と、身体が欲するものを食べて、身体を休めること、よく眠ること。
身体が出してくれるサインを、いくら鈍感な僕でもわかってあげて従うことにした。
薬で表面的にその時だけ症状を止めたり治しても、それは蓄積して別の形で違う病を引き起こす。
これは、僕の勝手な独断と偏見だから聞き流してもらってもいいのだが、薬は身体にとっては異物で、毒でもあるのだ。
もちろんそれを知った上で使う時もある。
病の症状と薬の害・副作用を天秤にかけて必要なら使う。
ただし、身体が出すサインから、「身体は僕に何を伝えようとしているのか」をしっかり理解してあげることは絶対にする。
それまでの自分の生き方そのものが、症状として出ているにすぎないのだから。
どちらにしても、医者から出された薬を飲まなくて体調が悪化しても、それは自分の責任だと思っている。
逆に、もらった薬を飲んで、そのせいで体調を崩しても医者は責任を取ってくれない。
だから、飲まない薬をもらわないのは、患者の自由だと思う。
(薬剤師さんにも同じような人がいるらしい)
風邪で苦しみはしたが、得たものは多かった。
必要なことしか起こらない。
今までの人生を振り返ってみてそう思う。
どれだけ苦しいことであっても、今の自分になるには、必要だったと思う。
さらに、今はまだ気づいてなくても、未来の自分に必要なことだったと必ずわかる日が来るはずだ。
そんな気づきをくれた、風邪と身体にありがとうと言いたい。
幸せはあなたのすぐそばに🍀
天地人に感謝
生かされていることに感謝