4歳年上の姉がいる。
いつも僕の前を走っていた。
器用で賢くて頭が切れる、僕にとって道しるべのような人だ。
昔は足も速くて、小学校低学年まではかけっこしてもかなわなかった。
ただ、僕から見ると意地が悪くて、小さい頃はよく泣かされていた。
七並べをすれば列を止められ、神経衰弱をすれば圧倒的な記憶力で次々にめくり取っていく。トランプはいつも姉の勝ち。しかも、圧倒的に強かった。
悔しくて泣かされる負け方をしていた。
それをみて、いつも姉は不敵な笑みを浮かべながら「あんたが私に勝とうなんて100年早い」と、半ばイジメっこのように僕を扱った。
なにか困ったことが起きると「あんたが悪いのよ」と上手いこと僕のせいにさせられた。
ある時、2人で牛乳を買いに行ったら、間違えて「豆乳」を買ってきてしまった。
母から自分たちの責任でそれを飲むように言われた時も、あまりのまずさに「あんたのせいよ」と本気で僕を怒った。
ケチで自分の分を僕に分けるようなことも絶対しなかった。
元々僕と真逆で、強がりで意地っ張りな性格もあって、絶対泣かないし、甘えようとしない。
自分の気にくわないことがあると、3日でも1週間でもふてくされてずっと黙り込んだまま。
両親も呆れて果てるほどで、家の中が凍りついても自分の意志を貫いた。
こちらが良かれと思って言動していても、姉自身が勘違いしたり気にくわないと、ブチ切れて怒鳴り散らす激しさも持ち合わせていた。
ただ、姉にとっては、母親の愛情を全て奪われた、憎き弟だったようだ。
父からの厳しい扱いと元々の資質なのか神経質で極端に臆病な子どもだった。そのため僕に悪気はないのだが、母に甘えてべったりだった。
元々の性格もあって、姉には甘える隙がなかったのだろう。
それに、僕も負けじと姉のしゃくにさわるようなことをしていたのかもしれない。
記憶にあるのは姉がピアノの練習をしている時のこと。うまく弾けずイライラしていても、間違えると反射的に「あっ」と言っていた。
そんな馬鹿正直で泣き虫の僕を憎たらしく感じていたのだろう。
記憶というのは自分に都合が良いもので、姉から助けられたようなことというのは覚えていない。
しかし、実際には僕がイジメられているところを、姉がやっつけて救ってくれた事が何度もあるらしい。今では面影もないが男の子を負かす強さがあった。
今でも優しい笑顔の奥に秘めた強さは健在だ。
僕が腕力で勝るようになっても決してひるむことはなかった。
こうやって恨み節を言いながら、僕自身、病で不安定だった時期でも、苦労の多かった姉を気にかけ、力になろうとしてきた。ずっとどこか姉への恩義のようなものを感じていたからかもしれない。
僕が宅配ドライバーの時は、同じ職場にバイトに来てくれたこともあった。たまにしか会わなかったが、姉の顔を見られるのが楽しみだったし、僕の頑張りを姉に知ってもらえることは、嬉しく誇らしいことでもあった。
いつも姉に追いつけ追い越せで勉強もスポーツも頑張れた。ここまで、頑張って来れたのも姉のおかげのところもある。
ただ1人のかけがえのないきょうだいだ。
元気で幸せでいて欲しい。
これからも影ながらだが姉をサポートする憎たらしい弟でいようと思う。
ありがとう、お姉ちゃん。
幸せはあなたのすぐそばに🍀
天地人に感謝
生かされていることに感謝