慢性的な病の影響で、よく体調を壊したり、発熱したりしていた。
以前は「なぜ自分だけこんな思いをしなきゃならないのだろう」と嘆いていた。
痛みや苦しみ、だるさを抱えて、それでも仕事では笑顔でいなきゃいけないし、休むこともできない。
ごまかしながら、何とかやっていた中で気づいた。
支えてくれる家族がいる
住まう家がある
健康的な食事を食べられる
共に笑いあえる仲間がいる
見えない何かを掴みたくてもがき苦しんでいた。
動き回る中で自分が得たもの、そして必要だったものは、日々を過ごす中で少しずつ、でも確実に着々と積み重ねていたのだ。
同じように感じる日常を生きていて、振り返るとそこに道ができていて、乗り越えた自分がいる。
僕は楽しく生きると決めた。
起こる出来事をどう捉え、どう過ごすかでその意味が変化する。
努力が報われないと感じた時は、訳もなく涙が出ることもあった。
今は、
「できないときはできないし、できないことはできない、今やれる事を楽しくやろう」
「そんな時もある、きっとうまくいく」
と思うまでもなく、自然とそうなっている。
戦争も飢えもなく世界的に見ても安全で快適に暮らせる環境がある。
日本人として生まれ、生活に窮することもなく過ごせている。
そして、無理しすぎることなく自分のペースで生きられるようになった。
足元を見渡すと意外と見落としがちな「幸せ」
が転がっている。
せっかくだから、気づいたら拾っていこう。
当たり前の日常の中に、実は当たり前ではない「幸せ」があるのだ。
晩ご飯が美味しかった。
風呂にゆっくり浸かって気持ちよかった。
そして、こうやって涼しい中寝転がって快適に過ごせた。
至極ありがたいことなのだ。
天地人に感謝
生かされていることに感謝