あ、もちろん
見なきゃそれで済むのですけれども
今日は昨日より、今週は先週より、
○○歩多いだの少ないだの…
よく言えばご親切
悪く言えばオオキナオセワ 笑
でも、そうなるとなんとなく
やっぱりぱりぱり歩数を稼ぎたくなり…
まちこさん亡きあとサボっていた散歩を、するようになりました。
まんまと術中にハマってるやん!
さて、今朝のご近所犬めぐり散歩での話。
その前に、この記事をお読みくださいませね。
長らく空き家だったこのお宅ハウルの城を構成する、大切なファクターなのですが、これがついに取り壊されるようで。
片づけの人がふたり、トラックに家財道具を積んでいます。(写真は、さすがに失礼なので撮りませんでした)
…Yさん、亡くなったのかな?
十中八九、そうだろうと思われます。
ある日突然老人施設に行かれて、そのまま帰ることの無かったYさんを思い、手を合わせました。
入院?が急だったので、家はその朝のまま時を止めて…
何年眠っていたでしょう。
今朝は家の扉も窓も、中の戸も開け放しているから、台所もお風呂もトイレもまる見え。
長い眠りから無理やり起こされ、浴びる陽の光。
なんだか家が気の毒になりました。
見ると、もうずいぶん片付いていて、浅黒くほり深い異国の人(男前!)が、てきぱき残りの荷を積んでいきます。
耳なれぬ言葉が飛び交うためか、彼らとその場所との違和感は半端でなく、なんとなく声もかけられずに通り過ぎました。
コンビニや近所の縫製工場で彼ら彼女らを見かけることには驚かなくなったこの頃ですが、ナント!こんな場面でもお世話になっていることに驚きです。
…遠く故郷を離れて、日本のおばあちゃんの家の後始末をする。
さぞかし不思議なモノがたくさんあるだろうと、恥ずかしいような申し訳ないような気持ち…
自分の家でもないのに。笑
なぜかって?
自宅をふりかえれば、モノで溢れかえったアノ場所コノ場所。
もちろん相手が誰であれ、お見せしたくない気持ちは変わらないのですが。
文化を同じくしない人に見られるのは、ジョウジョウシャクリョウのヨチがなさそうで、恥ずかしさもひとしおです。
堪忍してもらいたいけれど、娘に重荷を負わせるのもかわいそう。
少子化日本、核家族の行く末は、これしかないのかもしれません。
で〜きたら誰のお世話にもならずに、さらりと消えたいと、思い思いしています。
身体の面ももちろんですが、遺すものについても。
死んでから誰かに捨ててもらうのがイヤならば、当然、生きているうちに自分の持ち物の決着をつけねばなりません。
還暦まえの現在、一軒家に広がった夫婦ふたり分の荷物。
いずれどちらかひとりになったら、マンションかアパートか、老人施設か…シェアハウス?
最終的に押し入れひとつ、いや、スーツケースひとつ分まで減らすとして、ゴミの日は、あと何回あるでしょう?
燃やせないゴミの日は?
プラスチックゴミの日は?
布の日は?
段ボールの日は?
自分で捨てられる体力のあるうちに、けれど今の暮らしも楽しみながら。
思い出系、高価系、お気に入り系…捨てるのは何であれ難しい。
結局
本当に捨てなけれはならないのは、ゴミの姿をした何か他のものかもしれないですね。
それこそ、ハウルの記事で書いた
生まれてきた意味が問われる作業。
断捨離って
断捨離って
深いですね〜!