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少し間が空きましたが、先日の武四郎先生の記事の続きです。ウインク

北海道の名付け親   松浦武四郎  生誕200年オープニングイベントは、立ち見までギッシリの大盛況!で、久しぶりに地べたに座る体験をしました。


…下から世の中を眺めると、いろいろなことを思うもの。

「汚いだろうなぁ
ニヤリ」と覚悟して座ってみた地べたが、びっくりするほどきれいだったり。キラキラ(日本の清掃員さんの質の高さよ!)

地べた仲間のおばあちゃんたちが、感心するほどシャンと座っていらして「腰が痛い」だの「足が痺れた」だの、モゾモゾしている自分が恥ずかしくなったり。
笑い泣き

後ろの座席のかたに、思いがけなく「席が空いたよ」と声をかけていただいて感激したり。
おねがい

……
キョロキョロ

まぁ実を言えば、こんなポジティブなことばかりでは全然なかったのですけれど 爆笑

普通に座席に座っていては気づかない発見が、ポジキラキラネガもやもや取り混ぜ、い〜ろいろありました。

そして、武四郎先生がこれだけたくさんの人から敬愛を受けるのは、武四郎先生の視点が「地べた=差別される側」のものだったせいなのかもしれないと思いいたりました。

座席からではわからないこと、ましてや壇上からではぜったい見えないことが、残念ながらこの世では進行していますが、その場に座ってみないとなかなか気づけない。

地べたにどっかり座ってこそ、地べたを這いずり回ってこそ、初めてわかる真実がある。

当時のアイヌ民族への、侵略と言っても過言ではないほどの差別。

座席に座っている私たちには、考えも及ばないほどひどい弾圧が、アイヌ民族の数の減り方から推察されますが、松浦武四郎先生は、刺客を送られるほどの危険を冒して、アイヌの人権を世に問うたのです。


アイヌ伝承者  宇梶静江さんや、静江さんのご子息で俳優  宇梶剛士さんのお話を聴いて、武四郎先生の北海道探査は、アイヌの暮らしに密着…というより共に暮らしたからこそ成し得たことだったことが、よくわかりました。

一緒に歩き、食べ、眠り、祈り、踊り…

武四郎先生に、自然と共に生きるアイヌと、彼らの智慧への尊敬
キラキラが生まれた。

アイヌの人たちに、武四郎先生の篤い心への尊敬
キラキラが生まれた。

そんな関わりの中で生まれた詳細な地図と、北海道(もともとは北加伊道)という名前。

北=北の

海(加伊・アイヌ語のカイ)=この大地に生きる者

道=への道


諸説あるようですが、宇梶静江さんは、北海道の名前の意味を、このように説明してくださいました。

武四郎先生のつけた「北加伊道」という名前は、アイヌの精神を名前として表した、かけがえのないものだと。

北海道の地名にアイヌ語のものが多いのは、北海道を一緒に歩いて案内したアイヌと、武四郎先生の合作だから。

アイヌと武四郎先生、お互いへの尊敬
キラキラなくして、北海道地図はできなかったし、武四郎先生の著述が今後のアイヌの生きる道しるべキラキラだと、静江さんはおっしゃいます。

アイヌの神(カムイ)と祈り。
アイヌの衣食住。
狩や漁の方法。


武四郎先生の著作には、そんなアイヌの生活文化や精神文化が、たくさん書かれているそうです。

そしてアイヌの受けた弾圧も。

理不尽な弾圧を受け、生きる道を奪われて衰退したアイヌ…

「この書を読んで、感じない人は人間ではない」

武四郎先生の報告書の冒頭にこう書いてあると、今回知りました。

強い言葉です。

地べたから壇上を眺め、勇気を出してモノ申す…命がけの報告書だと思いました。


現在、かろうじて血脈をつないだアイヌは、武四郎先生の著述によって先祖のありようを知り、おそらくは誇りを取り戻し、儀式や文化、狩、漁を再開したいと動き始めているそうです。


アイヌの末裔だけでなく、大量消費社会に行き詰まりを感じている私たちにも、武四郎先生の著述はヒントがいっぱいなのではないでしょうか。

残念な過去を反省した上で、あらためて、自然と共にあるアイヌの生き方から学ぶことが、今の時代に光をもたらす気がします。


日本全国で花開き、10000年以上もの長きにわたって続いた縄文文化も、同じように平和な精神を持つものでした。

私たちの根底を流れるのが、まさにアイヌと同じ、万物に神を感じ自然と共に生きる心のあり方だと、思い出す時がもはやきていると思います。