夏休みも終わりの週になりました。

子どもたちもお尻に火がついて、「先生〜〜!感想文どうしよう!?」ガーン

感想文は、簡単と言えばカンタン、難しいと言えばこれほど奥深いものはありません。

暑い盛り、作品とガップリ四つに組んで、書きあげる感想文。

「夏の読書と思索は、成長のチャンスよね!」

などと常々思いながらも…。

時間がないこともあり、ついつい、カンタンに書ける安直感想文指導に流れる、ダメな塾講師ちかぷです。笑い泣き


さらにこのところ、私自身が感想文の難しさに、書けない何日かを過ごしておりました。


先週、ブロ友のユッカさんが「二十年目の花火」という初詩集を上梓され、その感想をblogにと、思うのだけれど書けなくて。

思わずひざを打つような、きらめきの表現。

脳みそを揺さぶられる、詩人ならではの視点。

そのひとつひとつに刺激されて、こちらの思いが溢れるので、詩集全体についての感想を書くのが難しくて。


イツキカムイさま天使
「たくさんのエピソードを羅列して支離滅裂…という感想文を書いてきた子どもに、ちかぷがするアドバイスは?」

ちかぷおねがい
「ひとつにしぼって、深く書いてごらん!」って言うかなぁ〜。

…ハッ!びっくり

…おお!キラキララブラブ     笑
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表題作「二十年目の花火」の

「あれは母にと
    空から剥がして押し花にした」

というラストに、ノックアウトされました。

二十年の歳月の中、家族の歴史は花火を見るメンバーに表れ、最大十二人でブルーシートを敷いた土手を、今年は夫とふたりきり、歩きながら見る花火。

ゆかさんは、そんな花火を押し花にしてしまう。

ヤラレタ〜〜!恋の矢キラキラ


花火の思い出、あの年この年…。

誰と見たか?
どこで見たか?
どんな状況だったか?

花火がせつないのは、目の前の花火に、過去や未来の花火が重なるから。


…となりにいなくなった人の、不在がコタエるから。

…いつか、となりにいなくなるかもしれない人の、存在が愛おしいから。


夏休みの宿題の押し花帳は、あの日この日の、夏の光の下の花々が半紙にはさまって、乾いた眠りに就いていましたが。

過去の花火たちは押し花帳に重ねられて、しあわせの夢を歌う…
生き生きした色は褪せても。


「恋は遠い日の花火ではない。」
なんていうウィスキーのCMがありました。

音楽にも惹かれて、昔から好きなシリーズのCMでしたが、中年にさしかかった人の、ウブなトキメキが素敵で、ドキッとしましたっけ。

生きることは、新しい花火を上げること!花火
(別に恋でなくても良いからサ。爆笑

あの世にはおカネもモノも持っていけませんが、そんな思い出いっぱいの押し花帳だけは、持っていけるような気がします。

美しい自信作でいっぱいの押し花帳づくり

そう考えると、人生って、なんと風流なものなんでしょうね。


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いろいろな町で花火大会が催されていますが、安くない花火費用は、その町の企業や商店の協賛で賄っているのが普通。

でも、三重県熊野の花火は、その年に亡くなった人の供養のために、遺族が上げるのです。

名前のアナウンスとともに上がる花火を見ながら、亡き人を偲ぶ。

花火を一緒に見てくれる、たくさんの観光客の存在も、供養にひと役買っているのだろうと思います。

「綺麗だな〜〜!」と思う心が光になって、あの世に届くから。


ゆかさんが「お母さんに」と決めた花火も、シッカリ彼岸に届いたことでしょう。キラキラ