9月13日  講演を聞いてからこんなことを思い出しました。

 

小学校のころ、道徳の授業が好きでした。

文章を読んだ後、必ず主人公の気持ち、主人公の周りにいる友達などの気持ちはどうだったかを先生は聞きます。

私は心の中で私なりの気持ちを持ちます。

しかし、発表する私以外の友達の別の視点からの意見や感想に必ず発見がありました。

それが毎回とても新鮮でした。

これが理由です。

 

  そっか~、確かにそうだよね

  そういう見方もあるわ

 

と思い、それが今でも

 

  人はそれぞれの視点で物事をみる

  自分も自分なりに角度を変えて考えてみることが大事

 

という考え方になりました。

もちろん道徳的なことを学びましたが、考え方は様々ということを学んだ印象が強いです。

 

しかし・・・

国語は嫌いでした。

詩の鑑賞、小説・・・「作者・主人公は何が言いたいのでしょう?」

このような問題が必ず出されます。

恥ずかしいのですが、先生が正解とする答えといつも違っていました。

だからテストでも当然・・・。

説明文もできなかったのでそもそも国語は出来ないのだと思います(泣)。

だから国語は嫌いでした。

苦手意識が今も抜けません。

その分、正解が1つの数学は解けると「うれしい!」、「やった~!」という気持ちが今でも残っています。

 

講演を聞いて、当時の先生が文学作品と説明文との違いをしっかりわかっていたら、こんな私になっていなかったような気がします。

当時は、当時の教育、授業のやり方、考え方があってのことだと思います。

 

私は、今の保護者の方にそれぞれの教科で先生は何を目的として、(例えばいろんな人の考え方を知る、説明文を読む、論文を読む)、そのためにどんな授業をしているかを伝えるべきだと思います。

簡単でよいので伝えるといいと思います。

授業を見る保護者によっては「先生はほとんど何も教えていない、グループで話し合いばかり」と誤解を招くと思います。

机をペア、グループ、コの字にする「本当の意味」がまだまだ今の保護者に浸透していないと思うからです。

子どもの学校の様子も大事ですが、今変わろうとしている学校・教育についての話も大事だと思います。

今は理解されなくてもいつか

 

   だから先生はあの時そうしたのね

 

と思う時があると思います。

保護者も真剣に子どもの未来を考えて教育をする学校に信頼を寄せると思います。