チューブ食になった九州の伯母は 病院に搬送された当初から食事時間内に食べ切れていなかったと思うのですよ。
それでも最初は10割の完食を果たしていたというのです。

その後徐々に食欲が落ち、私達が報告を受けたときには嚥下能力が落ちて、全く食べられなくなっていました。
ほんの半月の間の変化でした。



病院と施設では扱いが違うのは当然のことでしょう。


病院ではある程度の時間しか患者に手をかけられないでしょうし、常に目が行き届いている訳ではありません。
入院した伯母が今までの環境との違いや 自分を取り巻く生活の流れの違いを敏感に感じ取ったことも、その結果 日を追うごとに食べられなくなっていったことも想像できます。 




施設を出た時点で寿命は尽きていたのかもしれないのに、病院へ運ばれ延命処置を施され(「点滴や誤飲性肺炎の治療も考え方によっては延命の範囲になる」という考えもあるのだそうです)命を繋いでもらった伯母でした。

きちんとした手順を踏んだ 適切な処置だったのだと思います。







延命と言うと「いたずらに命を延ばすこと」というニュアンスも含まれていると思うのですが、人の命を考えるときに「大切な救命」と「意味のない救命」の線引きは何処に持って行けば良いのでしょう?





「本人の希望が優先だ」とは言われていますけれど………


私はねぇ
元々がこの問題を言えた義理ではないのですよ




延命と救命の違いはあるのでしょうが 急展開って場合もあります


5年前に 突然発病して延命治療(救命治療?…線引きがよく分かりません)をこれでもかってほど受けました


そのときに「本人の希望も何もなかった状態」で一連の処置が施されました

そして痰の除去や人工呼吸も延命の範囲に入るのでしたら もう、もう、とんでもない数の延命処置を受けたことになります

緊急ですから、有無を言わせず強力な救命処置を施されていたのです

点滴に始まり、酸素投与、輸血、チューブ食、薬剤投与、人工透析………
私だけでなく、いま 医療の場では延命や救命治療によって多くの人の命が救われています



あのときは
苦しくて苦しくて
途中からはもう止めて欲しかったですよ
全ての処置を止めてもらって 早く楽になりたかったです

苦しさの余り 判断能力が全くありませんでした
全てを投げ打って 楽な方にいきたかった

ぽんと命を差し出して とにかく一刻も早く楽にして貰いたかったのです


「本人の意思が最優先」ということでしたら とっくに命を失っていました


しかし 私の意思に反した家族の決断と医療チームの手腕のおかげで 今の私の命があります










本人の希望を優先させるべきだ
年齢が大きな線引きになる
回復の見込みのあるなしによる


一般的にはこう言われていますが、本人の希望もその時々で変わっていくものですし、回復の見込みなど 厳密に言えばお医者様ですら(データーを頼りにした数字でしか)分からない領域なのではないでしょうか?


「延命処置」や「救命処置」を考えるとき、対象になる人の年齢が自分に比べて高齢でも、果たして自分がその年齢になったときに今と同じ思いでいるのかどうかは疑問です






それからみなさんね
遠慮がちに「いつまでも生きていたくない」とか「健康であったら長生きをしたいけれど あっちこっちにガタがきて生きているのはしんどい」とか仰ってますけれど 余程の激痛があったり超苦しいなどの酷い条件でない限りは、身体のあちこちにかなりの不具合があっても 案外長生きを望んでおられたりするのですよ


言葉では本心と真逆のことを言っていますけどね

(条件によりますが)もう少し「生きたい」と考えている人は少なくないのだと思います


本音ってものは 自分でも分からないことが多いのですよ
「いよいよその時が来なければ分からないことを予(あらかじ)め決めておく」というのもなかなか難しいものですよ





そう、そう
そう言えば………
世の中全体で「ぴんぴんころり」なるものを推奨していますけれど「ぴんぴんころり体操」で健康に生きて ある日ぽっくり逝けるのだったら苦労はありません


限りなく確約のない希望ですけどね
しがみついて躍起になってするよりも「気休めでもいいと思ってするくらいが丁度いい」のかも知れません

「ぴんぴん生きて」「ころりと逝きたい」
なんとまぁ贅沢な希望でしょう



ほとんどの方が病院で亡くなる昨今
例えぴんぴん生きて来たとしても ころりと逝くことは奇跡に近いようにも思います

本当に 延命処置や救急処置を受けずに自然死を遂げることは至極難しいことなのではないでしょうか





そんな中にあって 亡くなる前日まで車の運転をし、自力で歩き、食べ、妻の面会に一日に二度も訪れていた義父は何と希有な存在だったことでしょう



義父は全く体操もしなかったのに「ぴんぴんころり」と逝ってしまいました

偏食で魚は食べず肉食を好み、野菜は漬け物以外ほとんど食さず、コカコーラを水のように飲み、大変な愛煙家で、車を使う生活が長かったので長い距離を歩くことはありませんでしたが 階段や多少の坂や部屋の中など生活範囲での独歩はこなし、夜更かし朝寝坊の老人でありましたが、寝付くことも入院することもなく、誰かの手を借りることもなく 健康のまま亡くなりました

絵に描いたような「死ぬまで生きていたひと」でありました






つづく