「この人だけは勘弁」に沢山のコメントをいただきました。

ご意見を ありがたい思いで読みました。
健康な方はもとより 現在闘病中であっても「健全なご意見」を多数お寄せいただきました。




軽快なテーマではないこの記事に、これだけ多くのコメントを頂けるとは思ってもいませんでした。

ありがとうございます。






書きながら思い出したのは 当時の経緯と精神状態です。

力がちっとも無かった時には 「ぼんくらヘルパーさんなどの面倒な対象」は あっさりと置き去りにしていたのですね。

現実では自分が置き去りにされましたが、精神的には私が彼女を早い段階から切り捨てていました。


「こんな人を野放しにしていたら きっと大きな事故になる」などという考えは浮かんだとしても、それで「自分がどこかに問題を投げ掛ける」ことはしませんでした。


生きることに精一杯だったからです。

自分がいっぱいいっぱいのとき、正義感や、正しく行われていないことに対する改善など 公に繋がることには目をつぶっていました。





私の場合ですが
具合が悪かった時と健康になった時
同じ人間でも思考や行動が違ってきました。


連続して反抗できるようになって はじめて自分を取り戻したように思いました。
反抗と言ってしまえば聞こえは悪いですが 自己主張です。

「誰かにとっての都合の良い人で居続けていたのでは 生きている意味が無い」
そう思っていました。


難しいのは 自己主張とわがままのラインの曖昧なところでした。








記事を書きながらいつも思うのは、発信元が一番に「はっとする瞬間を再確認している」のだということです。



コメントにも書きましたが「心ないヘルパーさんを変えることは 自分が歩けるようになることよりも困難だ」と思っていた節があります。

手に負えないことを請け負ってはいられない状態でしたから。

第一この方に「どうしたら自分の欠点を改善できるのか」と、相談された訳ではありませんでしたから。





ひとは変われます。
気付いたときに。

自覚した時がスタートですから
まだ走り出していない彼女をゴールさせるのは土台無理な話しでした。


こういうことこそ「奇跡」でもおこらない限りは実現不可能なのだと……。
だから、後回しでした。








ブログを始めてから丁度一年が経ちました。


わたしのブログは ときにくどくなり、ときには言葉足らずになり、試行錯誤しながら書き上げている状態です。



みなさまからいただくコメントがあってこそ どうにか成り立っているのだなぁと思います。





伝えることは楽しくもあり、突き詰めると恐ろしくもあります。

そんなつもりで書いてなくても、「そんなつもりで書いたコメント」や「共通する憤慨」「共有する安心」「気付き」「慰め」「励まし」などが届くと これからも頑張ろうという気持ちがわいてきます。


同じ記事でも様々な反応が返って来て

「そう読んで下さったのか」

「コメントはそこ?」




今では思いがけないコメントも含めて ブログを開くのが楽しみになっています。

いただくコメントは宝ものです。




つい一年前までは こんな世界があることすら知りませんでした。

あることすら知らなかったところに自分が飛び込むことになるなど 想像もしていませんでした。



色々と問題を抱えた私ではありますが、本当にお会いしたことのない方々から寄せられるコメントやメッセージに助けられて 書き続けています。



「転がる命」はそろそろ後半に向かいます。


「下らなさを受け止めて下さる方々がおられる限りは」という条件付きですが書き続けていきます。




どうかこれからも宜しくお願いします。