1980年代第二世代のAIブーム(現在は第三次AIブーム後半)を振り返る(1


1980年代私自身、岡田康義がNTT研究所に入ったときは、頻繁にあちらこちらで、AI SHOWの展示会が華やかに開かれていました。日本の高度成長期の最も華やかな時代だと思います。


当時話題は、第五世代コンピュータ開発機構でした。そのコアな組織が立ち上がったなか、私は、岡田康義は、NTT武蔵野研究所所情報処理基礎研究部(後の基礎研究所情報処理基礎研究部)第一研究室(AI研究がテーマ)に配属され、エキスパートシステム担当することになりました。テーマは回路設計の自動化で、

私のAI研究者としての第一歩がはじまりました。印象的なことは、1950年代の第一時AIブームでのAIartificial intelligence)の名付け親でもあり、初期の人工知能研究の第一人者であるJohn McCarthyとセミナーとの出会ったことだった。あーこの人が有名な方なんだと思いました。

周りの人はAIの第一人者がきたことで色めきたっていました。


当時の日本のAIは国家プロジェクトでありました。中心は第五世代コンピュータ開発機構でした(NTT研究所も注目の中心の一つでもありました)。


第五世代コンピュータ開発機構は、日本の独立行政法人であり、日本政府が推進する情報技術の研究開発を担当する組織です。略称は"ICOT"Institute for New Generation Computer Technology)です。

第五世代コンピュータ開発機構は、1982年に設立され、1992年までの約10年間にわたり、人間とコンピュータとの知的なインタラクションを可能にする新しい情報処理技術を開発することを目的としていました。このプロジェクトは、日本政府が産業界、学術界、および政府機関の協力を得て、国家的な情報技術の研究開発を行うために設立されたものでした。

第五世代コンピュータ開発機構は、世界初のマイクロプロセッサであるIntel 4004を開発した日本の電機メーカーである日本電気(NEC)との共同研究を通じて、多くの技術を開発しました。また、世界初の論理型プログラミング言語であるPrologの開発や、並列処理技術の研究など、先進的な情報技術の研究を行いました。

しかし、第五世代コンピュータ開発機構は、研究の成果を実用化することができず、1992年にプロジェクトが終了しました。しかし、その後も多くの研究成果が産業界や学術界に活かされ、日本の情報技術の発展に寄与しました。

次回につづく。