みなさん、こんにちは。

梅雨真っ只中ですが、真夏の感じですね。この土日は全国的に35℃以上でした。

流石に堪えるな~というのが正直なところ。体調にはお気をつけください。無理は禁物です。

 

ところで、本日は、日本風の村社会について考えてみたいと思います。

 

村社会といっても、本当の田舎の村の話ではありません。

もちろん、田舎の村は村社会の際立ったところかもしれませんが、私が、みなさんと考えたいのは職場とか学校とか、地域社会とかの単位の話です。

 

簡単にいうと、”同調圧力の中で生きないと生きにくい社会”、”基本同じ方向を向いている団体社会”、”違う考えの人間を排除する社会”とかそんなことです。

 

よく日本は、同調圧力が強いと言われます。みんな同じような行動パターンとか考え方とか、統制がとれているとか・・。果して、諸外国との違いははっきりわかりませんが、概ねそうなんでしょうね。

 

”同調圧力の中で、同仕様の人間が重宝される”という村社会というのが強いのかなと思います。

 

確かに、「同じ仕様の人間をつくりだす」という教育がなされていたのは事実だと思います。

私のような初老から上世代、戦中から戦後教育を受けて来た人をみるとそのように感じます。

基本、自分では考えない同じような仕様の人が多いなと・・

 

この村社会というのも、悪いことばかりではないですね。統制がとれるとか、支配者層からみると、支配しやすいということはあります。災害や戦争などの有事にはよいかもしれません。

 

今、この日本の村社会というのが崩壊しつつあるのかと感じることもあります。まだ、古い体質の業界ならば徐々にというところなんでしょうが、特に目につくのが”芸能界”です。

 

今まで、この芸能界というのは闇の社会だったと思います。プロダクションの意向やテレビ局の力のある人の意向で物事がきまる。枕営業も当たり前、年功序列、お金の力関係が際立っていました。

 

そんなのは今でもあるんでしょうが、最近は自由な発言をする人が増えて来ました。プロダクションから独立が非常に多いとか・・。昔ならすぐに干される、葬られる、場合によっては、事故に見せかけてとか・・、そんなのも多くあったと思いますね。

 

お笑い界や、タカラヅカとかにも、メスが入ったりして何かと慌ただしいようです。

 

これに関しては社会変化の一つの例かと思います。村社会の崩壊の一例でしょう。

 

表にはでないところでも、職場や学校、地域社会でも結構、この崩壊現象って起きてきているのではないでしょうか・・

 

もちろん、村で生きやすい人はそのままでよいと思います。

 

私が思っているのは、”村にいなくても生きることも可能”ということです。村が心地悪い人は村からでても生活できるし、生きていけるということです。

 

ですので、勇気をもって村から出たい人は出てみる。それでも何とかなると思います。最近、私も、職場の村社会から半分でたような立場でやっていますが、それでも何とかなっています。

 

自分の生き方の選択肢は、たくさんある。そんなことを感じるこの頃です。ほんの少しの勇気を持って生きてみてくださいませ。