2007年は新たなスタートの年でした。4月で大学生から社会人になり、文字通り「バスケで飯を食う」生活が始まったのです。ただし、だからといって生活スタイルが大きく変わった訳ではありません。大学時代同様、練習をして空いた時間で勉強をするというだけ。変わったことといえば、プロとしてきちんと給料を貰えることです。

前回までの日記でも言いましたが、バスケこそ自分の生きる道。会計士試験の勉強はあくまでプライベートなことで、仕事(=バスケ)には直接関係がありません。チームで日本一になり、日本代表になるという自分の夢でした。それを叶えるため、まずはチーム内で競争に勝って試合に出ることが、ルーキーでトヨタの入団した僕にとっての何よりの目標でした。練習中は常に全力で、絶対に負けたくないという気持ちでギラギラやっていたと記憶しています。

練習後に勉強をしている姿を、最初はみんな変な目で見ていたと思いますが、(バスケが第一だという)信念だけは一貫してたので、その意思は伝わっていた自信があります。一点集中が美徳とされる日本的な文化だと、「そんなことする暇があれば練習しろ!」といった空気を感じたことは何度かありますが、練習以外のプライベートで遊ぼうが勉強しようが自由ですからね。悪いことしてるわけじゃないんだしプライベートに口を挟まないでくれーって思っていましたね。笑

とはいえ、合格体験記ですので受験時代のお話を続けていきますね。

ここからは凱旋受験・・?平成19年公認会計士短答式試験感想といった受験時代の日記である「会計士受験記」とかぶる部分もあるのですが、どうぞお付き合いください。

2007年5月時点では、まだ全てのカリキュラムを消化したわけではありませんでした。ただ、本試験の雰囲気を知っておく為にも「ためし受験」はした方が良いと先生方にも言われたので、出来る限りの準備をして臨みました。結果的には、受験直後の自己採点で不合格だと分かるレベルだったのですが、「その時点で出来ると考えられる全ての準備をして、自分のピークを本試験に持って行く」という作業(=最大限の努力)を実行出来たことが、何よりの収穫だったと思います。

これはバスケでも言えることですが、365日間100%のコンディションを維持することは出来ません。どんな選手であっても「試合」という一つのヤマに向かって、自分のヤマ(=ピーク)もそこへ持って行く作業、いわゆるコンディション調整を行っています。これを「ピーキング」とも呼びますね。そして、これは経験によって効率化が出来ると僕は考えます。つまり、スポーツにおいて、必ず絶好調で試合を迎えることは出来ないのかもしれませんが、経験によって、絶好調の試合を迎える確率(=絶好調の再現性)を高めることは出来ると思うのです。

選手によっては意識せずともピーキングを行っているのかもしれませんが、僕は机に向かって勉強をしていることもあり、日頃から頭で考えたことを文字に残し、「意識しながら」自分のピークを持って行くことを心がけるようになりました。「なんとなくこの調整法は良いはずだ」といった感覚頼りのピーキングではなく、もう少し具体的な言葉に変換して実際に文字に残すことで意識が高まるということが経験則で分かってきたのです。(メンタルトレーニングといった分野においても、きちんと立証されていると聞きます。)

これは、会計士試験の勉強が、自分の本業であるバスケに対してプラスの影響を与えた一つの事例かもしれません。

さて、この年の受験は失敗したものの、こうして自分の限界に一度挑戦をしたことで、底なし沼のような会計士試験のゴールをようやくイメージ出来るようになったと記憶しています。「このまま努力を続ければ、来年は絶対に合格出来るぞ!」という希望が見えてきた年だったような気がします。