イシューからはじめるFF10【前編】 | ドラクエ好きに悪い人はいない

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ネタバレには全く配慮していませんのでご注意ください!

1月というノーマーク人事で

営業からひっそり企画に異動し、半年が経ちました。

 

「一体何を企画しているの?」と言われると

私も私が一体何を企画しているのかよく分からなくなりますが、

営業さんの推進ルールを定めたり、会議設定したり、各部のKPIを見ていたり

とにかく現場に近い営業企画的な業務です。

 

私は新卒以来11年間、営業職しかやったことなかったのですが

使う筋肉が本当に違うなあ・・・と。

営業は営業で数字へのプレッシャーがあったりしますが、

裏を返せば成果としては分かりやすく。

企画はどれだけ時間を投入しても、

自分の能力的に期待されているアウトプットが出ない可能性がある…みたいな怖さはある。

企画来てからMECEって500回くらい唱えたし、回帰分析って言われてそっと目を閉じたし、

今のところ大体ゴミプットしか出せておりません。

 

提案といえば「空(課題設定)→雨(現状)→傘(打ち手)」的なやつが

王道構造ではあります。

営業の現場ルールとかを、偉い方々の会議で起案することもあるのですが

そもそも最初の課題設定がずれてて(え?それ議論する必要ある??)みたいな

空気感流れるときのあの辛さ、

準備している私の時間が無駄なばかりか、

それより何より私より遥かに労働単価の高い皆さまを巻き込んで

お時間を浪費させてしまう。

ずれた課題で現場を動かしたら大変なことになるし、

このままでは私のせいで会社に甚大な被害をもたらすんじゃないだろうか、

ていうかクビになるんじゃないだろうか。

 

これ、こんな時間かけて調べる必要なかったなーー・・・

というデータを深堀してしまって

データ班の工数も奪ってしまって申し訳ない気持ちになった後、

「私の課題設定力がクソゴミです」と課会で共有したところ

当時の上司が「まずはこれを読むといいよ、」と。

 

 

『イシューからはじめよ 知的生産の「シンプルな本質」』

安宅和人(2010年) 英治出版

 

 

冒頭に下記のような記載があります。

※以下、イタリック体は全てこちらの本からの引用になります。

※ベージ数は単行本版に準拠します。

 

                          

分野がビジネスであろうとサイエンスであろうと

「本当に優れた知的生産には共通の手法がある」

 

「ロジックツリー」「MECE」「フレームワーク」……、

どれも正しく使えばとても強い力をもつツールだが、

それらを知っているだけでは答えを導くことはできない。

 

目的を知らずにツールだけを使うのは危険だ。

いわんや、「アウトプットとして何を生み出すことに意味があるのか」、

ツールからその答えを導き出すことはできない。

 

では何が本当のカギなのか?

それがこの本のタイトルにある「イシュー」だ。

 

「イシューとは何か」。

実際のところ、「何に答えを出すべきなのか」について

ブレることなく活動に取り組むことがカギなのだ。

(『はじめに』P1〜3から一部を抜粋)

                          

 

後半は手法も書かれていますが、

前半のかなりの部分を、そもそもイシューからはじめることの意義に割いており、

それこそが究極の業務効率化だと述べています。

 

1回通して読んだのですが、めっちゃ勉強になる良い本です。

いやでも分かる、言ってることは分かるのだけれども

いかんせん私は頭が悪い。いや謙遜とかじゃなくて本当に悪い。

大体のことは1回じゃ覚えられないしすぐに実践できない、

この本が悪いとかじゃなくて私が悪い。

 

という訳で、きちんと自分の中で咀嚼するためにも

ここは1つこの本に沿って身近なものに例えてみようと。

前々から課題解決を学ぶ上で、最高の事例だなと思っていた作品があるのですが

 

 

FFⅩです。

 

 

言い換えれば、

ファイナルファンタジー10です。

 

 

久々に更新したかと思えばブログのタイトルを根底から無視するこの題材、

いやドラクエ派なんです、基本的に圧倒的ドラクエ派なんですけど

FFの中で10だけは別格なんです。いやこれは本当に名作なんで。

この回だけは浮気を許してください。

 

「FF10なんて知るか」という方は下記をご参照ください。

知ってる人は『ザナルカンドにて』を脳内に流しながら復習してください。

※以降、エンディングまで全てネタバレします。 

 

 

   1分でわかる!FF10     

 

ストーリー

主人公ティーダは、ザナルカンドという機械だらけの大都市に生まれ育った
ブリッツボール(というスポーツ)のスター選手。
ある日の試合中に突然、空に巨大な化物『シン』が現れ、

スピラと呼ばれる異世界に飛ばされる。

そこで出会った召喚士ユウナのガード(召喚士の護衛)となり、

1,000年前に滅びたとされる遺跡、ザナルカンドを目指す。

 

スピラについて

①スピラでは『シン』が前触れもなく現れては人々を殺戮、

町や機械類も破壊していくので文明が全く育たない。

スピラ中の人が『シン』に家族・恋人・友人など

大切な人を殺されており、絶望に満ちている。

 

②そんなスピラの人々のたった1つの希望が、召喚士の存在。

『シン』を倒す唯一の方法は、召喚士が修行の旅路の果てに得る「究極召喚」。

この力を求めて、召喚士とガード(召喚士の護衛)は

1,000年前に滅びた遺跡・ザナルカンドを目指して過酷な旅を続けており

旅の途中で命を落とす召喚士も多い。

 

③だが、召喚士が究極召喚で『シン』を倒しても

『シン』が現れないのはせいぜい数年、何度倒してもまた復活する。

しかも召喚士は究極召喚で『シン』を倒すと、替わりに自分も死ぬ。

そのたった数年の「ナギ節」のために、召喚士は命を賭けている。

 

④しかもいざザナルカンドに着くと分かるけど、

究極召喚は自分の大切なガードを1人祈り子にして

(=命を犠牲にして、召喚獣に変えて)得られる技だとか言われ、

誰を究極召喚獣にするか選ばされる。 

 

⑤さらに、それで『シン』を倒すと分かるけど、

 究極召喚で『シン』を倒すと、召喚士が命を落とすだけでなく

 元々ガードであった究極召喚獣に『シン』 が乗り移って

 新たな『シン』となって復活するというクソ仕様。

(その復活に数年かかるので数年現れなくなるだけ)

 

という、死のスパイラルを1,000年ずっと繰り返しているのがスピラ。

 

                  

 

 

さてこんな絶望的な世界で、あなたならどうします?

いやどうしますって知るかよって感じだと思いますけど

 

 

FF10の一般市民たちは 

感覚値95%くらいの人が宗教にただひたすら救いを求めます。(エボン教)

4%くらいが現状を変えようとするけど

「機械で倒せるかも」とか間違った手段で『シン』に挑んで散ったり(ミヘン・セッション)、

「せめてもう召喚士を犠牲にしたくない」と旅に出る召喚士を誘拐するなど(アルベド族)、

課題設定と打ち手の筋が悪い。

 

 

残り1%くらいのもうちょっとクリエイティブな人たちは、

召喚士 or ガードになって解決を図ろうとします。

 

 

図ろうとするんですが、結論から言うと

真因を突き止めて解決できたのは

主人公ティーダに影響された、召喚士ユウナの一行だけです。

 

一体ティーダの何が違ったのだろう?を考えると、

まさに「イシューの立て方」なんですよね。

 

 

『イシューからはじめよ』では、

「バリューのある仕事」を、下記の図で説明しています。

 

                         

(p25図2バリューのマトリクス・p27図4犬の道より、岡田作成)

 

「イシュー度」とは

「自分のおかれた局面でこの問題に答えを出す必要性の高さ」

「解の質」とは

「そのイシューに対してどこまで明確に答えを出せているかの度合い」

(『序章 この本の考え方ー脱「犬の道」』P26より)

                         

 

 

絶対にやってはいけないことは「犬の道」のアプローチ。

 

世の中にある「問題かもしれない」と言われていることのほとんどは、

本当に取り組む必要のある問題でない。

がむしゃらに大量の仕事をして左回りで右上に到達しようとしても、

疲弊するだけでいつまでの右上のバリューのある仕事はできない。

 

「根性に逃げるな」、と。

 

 

FF10には何人かの召喚士&ガードが出てきますが、

ここで召喚士別にイシューの立て方を見てみましょう。

 

 

プロットすると大体こんな感じだと思っています。

(p25図2バリューのマトリクスを参照に、岡田が妄想でプロット)

 

 

   破壊的イシュー:シーモア     

イシュー度 ×  全てを破壊する

解の質     自分が究極召喚獣となって『シン』になる

 

生い立ちが不幸で色々とひねくれてしまった人。

生きてても絶望しかないので、自分が『シン』になって

人々に死という安らぎを与えたい・・・というなかなか危険思想の人です。

その過程でも手段を選ばない。

 

本人の立てたイシューに対する解としては明確なので

解の質としては高いですが、

そもそものイシューがやっぱ人の役に立つとは言い難いので

バリューとしては低いと言わざるを得ません。

 

だいたいイシューの定義として、

A)2つ以上の集団の間で決着のついていない問題

B)根本に関わる、もしくは白黒がはっきりしていない問題

(P25図3issueの定義より)

とありますが、独善的すぎてA)を満たしておらず

「イシュー」ですらないのではないかと思います。

 

 

例外的な人にも見えますが、物語の敵役として非常に多いタイプですし

現実でも、「人の繋がりが無い故に、欲求のはけ口が他者への攻撃になる層」と

「人との繋がりが集団的に変な方向に向かい、他者に攻撃しはじめる層」

が一定数いることは無視できない要素です。

 

 

良いイシューを立てるにはベースに健全な価値観というか、

「社会や人、組織の役に立ちたい」という気持ちがあることに加え

その気持ちが、適切な方向に向いていることが前提なんだなと。

それを当たり前と思っちゃいけないんじゃないかと。

 

 

シーモアはなまじ頭が良いので、イシューが破壊的でも解の質が高く

社会や組織にいると大変危険なタイプです。

 

「(人のために)死という安らぎを、」というセリフが

どれだけ本気かは分からないのですが(人のため、は口実そうなので)

「人のため」のイシューが、全くその人のためにならない方向に

解の質が高いタイプが向かった時は恐ろしいし、

オウム心理教の優秀層はこんな感じだったんじゃないかと・・・

シーモアは組織ではなくて個人ですが。

 

しかしなんか両親とも「アイツはダメだ」みたいな言い方しますけど

いやいやお母さんアニマになったら誰だって心病むでしょと、

いやアニマは駄目だって、怖過ぎるって、

お母さんも最期の根性でもうちょっと頑張って見た目くらい選ぼうよ・・・

いやアニマは駄目だって。

 

課題解決というよりは犯罪心理とか別テーマで示唆に富む人です。

 

 

★あまりにも長くなったので→後編へ!

 

 

 

 

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