老子の言葉から | 姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断、改名を行っている岡田健慈の日々のひとり言を書いていきます

人の霊とか魂について、老子が語ったことがあります、

老子は楚の人。隠君子として図書館司書をつとめていた。

孔子(紀元前551年 - 紀元前479)洛陽に出向いて彼の教えを受けている、

その時に、言った言葉が凄い、

 

老子曰

「私は、長く無を説いてきた、だがそなたは(孔子)有を語ろうとする

努力をすることは正しい、それは有である、

されど人が気を見極めるのも正しい、それが無だ!

有と無は本来一体であり一軒の家のごときものそこを有が囲むゆえ中に

無が出来る、有と無を混ぜ合わせてしまっては中には入れぬし

もはや家ではないであろう、

小さな虫たちは、ひと夏で終わりを告げる、何十年も生きる人々をみて

羨ましくおもうであろう、

かように考えればよい、人の命は、入れ物に入っている、

体は見る事の出来る形あるもの、だからこそ傷む

そして無へ不安や快楽を感じる。

しかし体の中にある無が指示をだしているのだ、

何時か人が死んで入れ物が無くなると、体の中の無と外の有が

一つに溶け合う

故に、形ある物は必ず無くなる!

形の無い物程 永久(とこしえ)なのだ!

書いた者は死んでも、書の精神は終わり無き残る

故に無は道の根本であり、有は道の表面と言えるのだ」

私なりに解釈させて頂きますが

人の魂は、無 肉体は有(入れ物)として捉え

肉体を動かしているのは、魂詰り、無が指示を出している、

約2500年前の人が考えたものは、今の考えと全く変わりがないのです、

人は死んでも、永遠に生き続けるのです。

肉体は、現代風に考えれば、車(有)大事に乗れば長持ちしますが、

乱暴に扱えば、直ぐに壊れる、車が壊れたとしても、

それで、何も無くなる訳では、ありません

運転手は、(無)指示を出して車を運転している

調子のいい車も有れば、調子の悪い車も有る

タイヤが一つパンクしているのも有るでしょう

でも、大事に大事に乗る事が大切で有り色々な事を学ぶために

与えられたものです、

皆が、性能の良いスポーツカーでは、勉強になりませんから、

与えられた車のポンコツを嘆いてばかりでは

全く話になりません、

この車を乱暴に乗り壊して、直ぐにお代わりしても

又、同じ様な、車を与えられることは、

間違い有りません。