今、話題は、安保理関連の事ですが、
いろいろ考えさせられます、
矢張り歴史は繰り返すと云われていますが、
関ケ原の戦いで、負けた外様大名が明治維新に徳川にかたきを取った
のがそもそもの成り立ちかもしれません、それが今現在でも、続いているのです、
明治維新のお陰で、我が国は長い富国強兵、覇権国を目指す軍事国家の道を歩むことになった
時代の流れだと言えばそれまで、だが、徳川時代は、少なくとも、戦争の無い時代でした、
明治以降戦争ばかりで、本当に世界事情だけでそうなるものなのか、
いま内閣総理大臣は安倍さんですが
安倍晋三氏は山口長州の人間です、
前に安倍晋三が靖国を参拝しなかったことが「痛恨の極み」と言われたことが気に成って
調べてみました、
靖国神社設立の起源は、1865年、長州藩が奇兵隊の死者を祀るために建立した桜山招魂社が、靖国神社の起源である。
その後、禁門の変、戊辰戦争などで戦死した長州軍の兵を合祀。明治維新後、明治天皇の上京にともない、天皇の錦の御旗が与えられることで、官幣の神社として靖国神社が設立された。
以上の経緯を踏まえると、靖国神社は、明治維新以降、実権を握った長州閥の意向が色濃く反映された神社だと言える
靖国神社の本殿には、246万6532柱の祭神が祀られている。
それらは、戊辰戦争以降、台湾出兵、江華島事件、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、太平洋戦争といった、戦争で亡くなられた方々の御霊である。
ただ、この中には、例えば東京大空襲の犠牲者、広島・長崎への原爆投下による犠牲者、沖縄戦での
犠牲者などは含まれていない。さらに、大村益次郎らとともに戊辰戦争を戦いながら、その後、西南戦争で「鎮圧」された、薩摩藩の士族たちも祀られていない。
勿論会津戦争の敵方戦死者会津藩士なども含まれるはずもない、
会津藩家老を先祖に持つ右翼の大物・田中清玄は、
靖国神社を「長州藩の守り神にすぎないもの」と切り捨てたという。
あくまで、明治政府で中心をなした長州閥の人々が押し進めた、西南戦争という内戦での官軍側の死者と、日本が対外諸国を侵略していく過程で戦死した人々だけを祀っているのである。
朝廷を利用し、長州のために戦った戦死者を祀る、長州神社と云う色彩を色濃く持っている、
歴史の浅い長州藩賛美の神社(靖国)を信教の自由と云う言葉で、逃げおおせるとの思うのは、
大変な間違いである。その意味で、中国韓国はいざ知らず、
欧米各国、ロシア、ユダヤ協会等々が、安倍靖国訪問を徹底的に反対する意味合いがあることを
知っておく必要がある。