好き嫌いの本能は。 | 姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

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姓名判断、改名を行っている岡田健慈の日々のひとり言を書いていきます



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赤ちゃんが生まれて名前を付けようと考えてみて、


まず、考えるのが、子供の頃から、自分に対してよくしてくれた人


の、印象から、名前や顔の形など、知らず知らずインプットされて


自分の子供の名前に反映することは多々有ると思います。


青年期に好きになった異性の名前を自分の子供のはんえいする確率は


想像以上に多いと思われます。


自分の苦手な人とか如何しても好きになれない人などは、幼児期から昨日まで、


自分に対してのマイナスになるイメージの印象が大きく働いていると思います。


この世に生まれて、如何しても、逢わないだろうと思われるのに嫌だと思うのは、


この世でけではなく、前世に何か有ったのではと、思われます。


何か、前世現在を通じて嫌と思う気持ちは、自分に対して害を催す敵と覚えているのでは


ないでしょうか、身体が勝手に反応してしまうと思われます。


食べ物でも、如何とも、食べられないものが、必ず有ると思いますが、子供の内は、


絶対に食べられないものも、年齢が加算されると、食べられるもの有ります。


これは、何代か前に、(前世) そのたべもので、大変な思いをした記憶が残っていて、


食べられないことが有ったのではないかと思われます。


男女関でも、第一印象一目惚れとありますが、これも、最近の研究成果、科学者が、


自分の持っていない免疫を持っている人を一目惚れする確率が高いという研究成果


あげていました。


矢張り、自分の知らない事から、本能的に、好き嫌いが有るのだとしたら、


この世のに生まれた時に修行の妨げになる記憶を忘れ、させられて生まれれきたのですが


神の世界でも、完全に魂はリセット出来ないものなんですね。


なんらかの、記憶が残ってしまう、あの人嫌い、この食べ物は、大好きたどか、


この森の雰囲気が、大嫌いだとか有るものです。



自分も、幼児期から、狭い空間が、だいの苦手で、今でも、天井の低い車とか、部屋は


息苦しく、我慢できないのです。


子供の頃時、溺れた川は、そんなに苦手ではないのです。


狭い空間は、叫んでしまう程大嫌いです。


子供の時からヒチコックの映画ではないのですが、仮死して、棺桶に収めれれ、


埋められて地中の中で生き返って棺桶の蓋を手でかきむしる夢を何度も何度も


見たので、狭い空間が苦手なのか、分りませんが、


人心の伺い知れない事多々有ります。


苦手なものを、よく調べて自分に対しての過去を知り得るのもまんざら、夢では


無いかも知れません。


自分自身の身体の体質傾向など、知り得るのも、好き嫌いは大いに


大切な事かも知れません。


それが、お経や讃美歌を墓前で唱えるより、ご利益があるかもしれません。


即ち、先祖供養、自分のこの世の生まれてきた理由などがわかる材料


となるかも知れません。