イタコと、霊の見方の自分勝手なはなし | 姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

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前回の続きですが。


偽者か本物かは、わかりずらいと思いますが、


霊との、交信、などできないと、どうしでも、話が完全に一方通行になります。


会話(受け答え)が一切出来ないのです、ひたすら向こうの


喋る言葉をありがたく拝聴するだけです。


イタコってこのパターンが多いと思います、


話を冷静に聞けばすぐわかる通り、


こちらから聞き出した情報に則って言葉をつないでいるだけと


思われる事が殆どです。


しかし、人によっては、霊と話しをしている時に、


故人と親族しか知らないはずの秘密の話なんかが出て、


「ああ、これはまぎれもなく誰々だ!」などと信じられるケースもあるらしい


物事というのはすべて100パーセントというのはありえないので、


実際に霊が降りてくる場合もあるし、降りてこない場合もある。


降りてこない場合は、「呼び出したけどおいでになれません」とも言えないので、


事前に聞いておいた個人データをもとに、当たり障りのない話をしてお茶を濁すのかも知れません。


でも、こういった交霊も、首を傾げたくなる社会現象ですが、


それだけ、愛する人を亡くす悲しみというのは深く大きな感情だし、


そんな大事な人と再会できたとしたら、その感激も絶大なのです。


イタコは、そういった人間の心に開いた空洞をひとときでも埋めてくれる癒やし手であり、


ある種のカウンセラーなのかも知れません。


イタコを訪ねる人にとっては、亡くなったあの人に再び会えた、と感じられることが、


ひとときの幸福であり救済なのかも。


大切な亡くなられた人とのひと時の時間に浸らせてくれさえすれば


それで良しなのかもしれません。




しかし、私の自分勝手な考えですが、


霊と言うのは、あの世の厳格な規律の元での範囲での


生きている人にナカナカ、メッセージを送る事は出来ない


規律ですので、どうしても生きている人に知らせたい場合、


最小限度のメッセージでなければならないのです。


昔から、亡くなった人からのメッセージは、夢に出て来る事


が一番多い、例え、姿が見えたとしても、忘れていた時


ふいにとかで、連続して見えることは無いのです。



見えないと、おっしゃる方は、見える時は、ハッキリと


見えるとお思いでしょうが、


実際、見える時は、意識朦朧の時が、一番見る機会が


多いです。


しかも、見ようと思って見るより、頭の隅に置いておき


ボャーット、しながら頭の後ろで考えて見る様な気持ちで


居ると、霊の姿を見る事が多いです。


之は、私個人の独特の見方を表現したまでですので


まともな方では、到底理解出来ないと、思います。