生命判断との出会い | 姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断、改名を行っている岡田健慈の日々のひとり言を書いていきます

私が、15歳の時に、水墨画が、習いたくて何処か教えていただける所は、ないかと探しましたが如何しても無くて困り果てている時に、父が、同じ墨を使う書道を見つかるまでどうかと云う事になり、書道塾に入門しました。


夜の部に入門したのですが、、入門して暫くたって〔半年程〕、

たまたま昼空いていたので昼の部に稽古にいきました所入り口の門に下がっていた看板が夜の看板と違い、

姓名判断の看板が下がっていたので、先生は、変な事しているな、と思いながら、

稽古をしていました処、鑑定依頼の方が来て見てもらう事になり、

生まれて初めて占いを目の当たりにして、変な人達だなと思いながら聞いていると、

本当かよと思いたくなるほど当たるとかその通りですとか言って恐れ入りましたって感じで、鑑定料を払い感謝しながら、帰っていったのを、

うそだろう、そんな事有るはずがないと、

思いながら稽古をしているのを、先生は、見逃さず、

よく知っている人の名を言ってみろと言ってきたので、

適当に知っている友達の名を言うと、

なんと、見てきたように良く当てるではありませんか。


でも、良くは当たるけれども、若い時ですので、

如何してもそんな事マグレで当たっただけと信じなかったのです。


その後、先生は書道と生命判断とで、何時も忙しそうにしていました

、稽古の最中に鑑定するという事もしばしばあり、

其のつど生命判断を説明して、解説して、先生は、結婚をしていましたが、

子供が無く、生命判断の技を如何しても

弟子に教えて後を継いでくれる人を探していたのです。


又数年過ぎても、私は相変わらずそんな事より、大型バイクに夢中で走りまわっていました。


岡田健慈のひとりごと

そんな状態が何年も続いた年の暮れに、事が起こりました。


忘れもしない12月28日の日朝暗い内から弟を後ろに乗せて、ツーリングに出かけて

、昼近くになった頃国道6号線〔水戸街道〕を走っている時に

大型トラックが、方向指示器も出さずに、

急に左折して来て避け切れずに、弟の右足と大型トラックのバンパーが接触して、

弟の足肉を剥ぎ取ってしまったのです、

後の事は思い出したく無いほどです・・・・・

救急車に運ばれ弟を付き添いながら先生に言われた事を思い出したのです、

今年は事故運が有るからもう今年も終わるから、

〔絶対に冬休みが来ても、オートバイで、ツーリングなんか行くなよ、

弟は、足の怪我に注意しろ〕

と口やかましく、言われ続けていたのを

思い出して、

モツト信じればよかったと後悔しながら、


救急車は凄いスピードで病院にいくなぁ・・・・・