岡ちゃんの膵臓がん闘病記

岡ちゃんの膵臓がん闘病記

2012年12月に膵臓がんであることを宣告された59歳の岡ちゃん(男)のその後の闘病記です。

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12/12

午前4:30過ぎ 病院から電話

「ご家族に連絡してください」

え?うそでしょ?

テレビで何度もこんな場面があるからお父さんは大丈夫と急いで病院に向かう。


5:00過ぎ 病院につく

あさい呼吸、

どこを見ているかわからない瞳、

痛み止めの点滴、

熱を下げる点滴 (「熱あるんですか?」と聞くと、「先生に言われています。」と言われる。)


手足が冷たい。

何もできないので第二の心臓の足の脹脛のマッサージを始める。

娘は、手を握りながら耳元で「いかないで!お願いだから!お願いだから!」と話しかけている。

何十分もやっているうちに必死でマッサージを続けると、身体があたたかくなってきた。

娘と今日は大丈夫そうだね。などと話していた。


夜が明けた。

7:30 姉夫婦が駆け付けた。


そのうちに、

口から、鼻から、嘔吐物が出た。

看護婦さんにバキュームしてもらう。

こんなに入っていたの。というぐらいの量があった。

そして苦しいのか肩を大きく二回動かす。

バキュームは続いた。

すると、のどぼとけが静かになって、いきなり動かなくなっている。


何?どうしたの?なに?おきて!おきて!おきて!と叫んだ。


7:50 呼吸が止まった。

何度さすっても、何度叫んでも反応がない。


看護婦さん

「先生が向っています。」


なかなか先生が来ない。


そして、ついに

8:29 死亡確認時刻を言い渡されてしまった。

ついに、この日が来てしまった。

まだまだ時間が残っていると信じてうたがわなかったのに・・・


窓の外は、冬晴れ。

凛とした寒さの中、魂が離れてしまった。


私の弟も付いた。


息子一家は、先日産まれたばかりの赤ちゃんを連れて、こちらに向かっている途中渋滞に巻き込まれてしまった。

亡くなった時は、銀座。

もう少しでで逢えたと思うと、残念。


あれだけ、茨城に帰りたいと願っていたのに実現できず。



でも、これからどうすればいいの。

東京から茨城にどう変えればと思ったが、地元の知り合いのセレモニーに連絡。

「僕がいくまでまてますか?」

もちろん。どれだけ心強いか。待ってます。

感謝でいっぱい。


迎えに来てもらって、

11:30 病院をでる。

先生、看護婦さんたちが見送りをしてくれた。


午後1:30 やっと家についた。

やっと苦しみから解放され、家で眠ることができたネ。


"魂になったら宇宙に帰るから"

と言っていたから、

最後に届いた宅配便は【アポロ11号】。



皆様、沢山の応援のメッセージをありがとうございました。

心の支えだったはずです。


告別式が終わり、納骨した直後、

娘が呟いた。

「もしかして虹?」

冬晴れの空のあいまから虹がうっすらと顔を出していた。


岡ちゃんの妻