おはようございます。今朝も散歩に行きました。

雨のやみ間でよかったですあじさい

 

10年以上前のことです。母は狭心症で

ニトログリセリンを常に携帯していました。

しかし、頻繁に 胸痛が起こるので

検査を受けました。

冠動脈が石灰化していて、血管が狭窄している。

カテーテル治療をしてもとりきれないかも知れないという

結果でした。

私はその話を不安がる母から聞いたので、

早速調べました。

循環器内科の専門医を調べ、カテーテル治療のベストドクターを

探すことが出来ました。その先生は千葉県に在住でした。

母が病院に電話すると、私は知りませんでしたがTVで放映された直後で

とても混雑しているとの事でした。

しかし、受付の方に検査資料を送ってください、

もし、検査を受けた病院が拒否した場合は

こちらから病院に連絡する。

今はそんな時代じゃないんです。

こう言われたそうです。

母は、病院に行って事情を話し検査資料を貰うことが

出来ました・・・嫌味は言われたそうですがキョロキョロ

 

その後一ヶ月ぐらいで入院し、カテーテル治療を受けることが出来ました。

私は家業を手伝っていたので、夏休みの娘に付き添いをお願いしました。

治療は夜の11時過ぎから始まりました。

母の後にも何人か治療があると娘から、電話がありました。

父はカテーテル治療後に孫を置いて、大阪に帰るつもりでした。

自分自身の検査予約があった為です。

父と娘もビジネスホテルに宿泊していました。

その先生は、大阪出身の先生で両親の大阪弁を懐かしがり

孫を帰らせるように言いました。

父にあんたは元気や検査やったらうちで受けたらええ、

いい先生も居てるでと

嫁さんに何かあったら、間に合わへん。

空いてる看護師寮の一室を安価で手配して頂きました。

そういわれても、頑固な父は検査を受けませんでした。

今考えるとここが父の運命の分かれ道やったなガーン

一ヶ月は父も千葉県に居ました。

私も車で、一人病院に行きました。

病室で一泊して、父と柴又帝釈天に行きうなぎを食べたことを

思い出します。退院後もしばらくは父の運転で通院してました。

その後は大阪で先生の幼馴染の内科医を紹介して頂き、

通院しています。

父亡き今も、母は現役で実家の家業を支えています。

 

去年、先生のTV放映を拝見しました。

現在も病院長で現役です。

神の手の先生は、心も神だなと思うおばはんでした。