理想的な授業とは?
さて、今回は自分が追い求め、意識している理想的な国語の授業を書こうと思います。
一言でいえば、「再現性」のある授業です。
国語という科目は、特殊な科目で、文章、設問とも入試にそのまま出てくる可能性が一番低いです。
極論を言えば、授業で扱う文章の内容や設問の考え、答えを授業で知ったところで入試問題を解けるようにはならないです。
だからこそ、「何のために」授業を行い、解説をし、復習を強いるのかを講師自身が明確に自覚していかなければならないと思います。
よく「国語は誰でも教えられる」、「国語は復習しても意味がない」、「国語は漢字と知識をまず固めて、あとはひたすらこなす」などと言われるのは、国語に特殊な技術は必要なし、また科目に再現性がない(受験生の能力の差)と思われているからではないかなと。
確かに、そう思われても仕方がない授業をしている講師も多かったですが、自分はそう思われたくなかった。
だから、必死に「再現性」のある指導方法の確立と、生徒自身が「授業を受け、復習をすること」で、入試問題が解けるようになることを強く意識して、多くの入試問題を解き、多くの問題集や参考書に目を通し、読書で様々な学問的知識を補いながら、自己研鑽を行い、授業をしてきました。
※ちなみに本は、受験関連のもの以外で、毎年20冊以上(多い時は30冊)は購入して読んでいます。歴史、哲学などの学問系、ビジネス系(自己啓発系も含む)などが多いです。たまに推理小説、物語ですかね。児童文学も。
ここで私が言う再現性とは、
私の授業をしっかり受けて、授業で教えたことをしっかり理解し、指示通りに(やり方があるので、それを忠実に実行することを前提として)復習をし、それを続けていけば、誰でも読解力が向上するだけでなく、入試問題を解くために必要なスキル、知識を手に入れることができることを指します。
これに加え、レベルや志望校の傾向に合わせて問題演習をある程度、解かせることで、学習の量と質を担保させ、最終的に志望校(少なくとも第2志望レベルまで)に合格できるレベルまで仕上げていく。
これが、私の考える理想的な国語の指導ですし、実際、それを実現させてきて「今」あります。
今年も教え子は志望校合格を全員勝ち取りましたし、自分が教えていた生徒のほとんど(もちろん全員ではないです。神ではないので(笑))は第2志望までに合格できています。
国語だけで合格しているわけではないでしょうが、少なくとも国語が足を引っ張る割合を極力少なくしてきました。
実は、算数も同じではないかと思います。
似た問題が出る可能性は国語より高いでしょうが、結局、その問題の解き方、答えを教わったところで入試問題が解けるわけではないでしょう。
それをどう、入試問題につなげていくのか、どうすれば、初見の入試問題が解けるようになるのか。それを授業で伝えたうえで復習させないと、あまり意味がないのではないのかと思います。
「教えない」を売りにしている講師もいます。
答えを安易に「教えない」、自分で考えさせるという趣旨だと思いますが、何も教えないのは違うかなと。
それでは、その塾に通っている意味がない。
それこそ、誰でもできますよね、その役割は。
共通点としては
この2つが根底にある。
そういう授業が理想的であり、効果がある授業と言えるのではないかなと個人的に思っています。
むしろ、私の存在意義はそこにあるかなと。
だからこそ、講師自身も日々、学ばなくてはいけないと思います。
勉強しろという立場の人が、勉強しないのはあり得ない。
私も、少しずつ密かにある苦手科目を学びなおししています。それこそ、中学レベルからやり直しています(笑)
他の科目を勉強することで、視野が広がるし、将来の武器にもなると思うので。
ビジネス系も引き続き、勉強はしています。
最近はYouTubeやXなどで人とつながりやすくなりましたよね。学びの場もあるし。
これを活用しない手はないかなと。
ChapterGTもまだ遊びですけど、活用しています。
ただブログにはまだ、たたき台にしかならないかなと。かなり自分のほうで加筆、修正しないと記事の精度が上がらないかなと・・・・・・。
これもいい勉強です。
今回は、このあたりで。
具体的な指導法などは、これからも触れていてきますが、詳細はアメンバー限定記事になります。
ではよい一日を、実りある受験生活を。
タカウジ